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絵図・建築図面で巡る江戸城ツアー

絵図・建築図面で巡る江戸城ツアー

江戸城ツアーへのご参加ありがとうございます。今回は、江戸城の中心である本丸の内部や天守、将軍の霊廟や書物蔵があった紅葉山や江戸城の庭園であった吹上をご紹介します。コース通りにご覧いただくか、またはツアーコースのお好きな番号をクリックしてください。

ツアーコース

御本丸

その他

江戸御城之絵図

【画像】江戸御城之絵図

江戸御城之絵図(請求記号:6151-2)

江戸城とは

 江戸城は、内郭と外郭で構成されていました。
 内郭は、内堀に囲まれた範囲で、本丸・二丸・三丸・西丸・北丸などの御殿や吹上などの庭園がありました。外郭は、外堀に囲まれた範囲で、武家地・町地・寺社地も含まれていました。要所には「見附(みつけ)」と呼ばれる城門が設けられ、人々の出入りが管理されていました。

※資料名に下線があるものは「TOKYOアーカイブ」の該当箇所にリンクしています。

1 江戸御城之絵図

えど おしろ の えず

【重要文化財】

写 1舗 東京誌料6151-2

【画像】江戸御城之絵図

 18世紀前半の江戸城の内郭が描かれた絵図です。本丸や西丸などの御殿のほか、将軍の霊廟や書物蔵があった紅葉山なども描かれています。本丸などの御殿は、表と大奥が色分けされています。また、堀や土手も彩色されています。(36.6×54.7cm)

江戸東京デジタルミュージアムの関連記述はこちら

江戸城 御本丸

 本丸は江戸城の中心の御殿でした。そして、江戸幕府の政庁で、将軍の住居でもありました。内部は、儀式などを行う「表」、将軍の執務や日常生活の場である「中奥」、御台所など将軍の家族が生活する「大奥」に分かれていました。
 本丸は、三度、焼失し再建されています。しかし、四度目の文久3年(1863)の焼失後は再建されず、その機能は西丸に移され、慶応4年(1868)の江戸城開城を迎えます。

① 本丸 能舞台

2 御本丸表御舞台御拭板下瓶居付方絵図

ごほんまる おもて おぶたい おぬぐいいた した かめいつけ かたえず

【重要文化財】

万延度 写 1舗 縮尺1:60 東京誌料6169-18

【画像】御本丸表御舞台御拭板下瓶居付方絵図

 江戸城の表能舞台の地下には、音響効果を上げるために甕(かめ)が埋め込まれていました。
 橋掛に4個、後座に2個、舞台に7個の甕が口を地面に出すような形で埋め込まれている様子が描かれています。また、図中には「瓶傾絵圖」として埋め込む方法や角度も指示されています。角度は「三寸四分高配」、一つ置きに甕の位置を変えるなどの指示があります。(40.0×55.0cm)

3 千代田之御表 御大礼之節町人御能拝見

ちよだ の おんおもて おんたいれい の せつ まちいり おのう はいけん

楊洲周延画 福田初次郎 明治30年(1897) 錦絵 3枚続 東京誌料614-C1-4

【画像】千代田之御表 御大礼之節町人御能拝見

 江戸城での「町入能」の錦絵です。将軍宣下(しょうぐんせんげ)などの慶事や大礼の際に江戸城の表向きで開催された祝賀能に江戸町人が招待されました。能の初日に各町から選ばれた5,000余名が、朝昼の二交代制で観覧しました。入場時は、雨に備えて傘が一本ずつ渡され、退場時には酒と菓子、後日に錢一貫が下賜されました。(36.0×70.5cm)

町人たちは、同席する将軍や公家に対して「親玉」、「日本一」などと叫んだりしたそうです。

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② 本丸 大広間

4 御本丸大広間三十分ノ一建地割

ごほんまる おおひろま さんじゅうぶん の いち たてじわり

【重要文化財】

万延度 写 1舗 縮尺1:30 東京誌料6162-27

【画像】御本丸大広間三十分ノ一建地割

 大広間は、最も格式が高く、将軍宣下や年中行事が行われる場でした。上段、中段、下段、二之間、三之間、四之間などに分かれ、広さは約500畳もありました。
 大広間の主要な続間である上段、中段、下段の三室は、床の高さや天井など上段に向かって豪華になっていきました。上段は公式行事では将軍の座る場所でした。(53.0×131.0cm)

下段から中段、中段から上段まで7寸(約21cm)ずつの段差がありました。

5 観古東錦 舊徳川八代将軍宣下之圖

かんこ あずまにしき きゅう とくがわ はちだい しょうぐん せんげ の ず

東洲勝月画 片田長治郎 明治22年(1889) 錦絵 3枚続 新収資料 和-別400

【画像】観古東錦 舊徳川八代将軍宣下之圖

 八代将軍吉宗の将軍宣下の様子を明治になってから描いた錦絵です。将軍の代替わりに行われる将軍宣下は、幕府の最重要の儀式でした。三代将軍家光までは上洛していましたが、四代家綱以降は江戸城に勅使を迎えて行われました。
 大広間では、上段に着座した将軍に征夷大将軍への任命等の宣旨(天皇の意向を下達する文書)が届けられ、披見・拝礼の儀式が行われました。(36.5×72.5cm)

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③ 本丸 松之廊下

6 御本丸松之御廊下御三家部屋桜溜御数寄屋地絵図

ごほんまる まつ の おろうか ごさんけべや さくらだまり おすきや じえず

【重要文化財】

[万延度] 写 1舗 縮尺1:60 東京誌料6165-20

【画像】御本丸松之御廊下御三家部屋桜溜御数寄屋地絵図1

【画像】御本丸松之御廊下御三家部屋桜溜御数寄屋地絵図2

【画像】御本丸松之御廊下御三家部屋桜溜御数寄屋地絵図3

 本丸御殿の松の廊下や周辺の部屋などが描かれた平面図です。
 松の廊下は、大広間と白書院を結ぶ全長約55mのⅬ字型の廊下でした。障壁画として浜辺の松原に千鳥が飛ぶ図が描かれていました。障壁画の内側には御三家部屋などの大名などの控えの部屋がありました。
 元禄14年(1701)に赤穂(あこう)藩主浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)が起こした刃傷事件(にんじょうじけん)の現場として有名です。(57.5×132.5cm)

江戸東京デジタルミュージアムの関連記述はこちら

7 仮名手本忠臣蔵 三段目

かな でほん ちゅうしんぐら さんだんめ

歌川芳藤画 辻岡屋文助 文久2年(1862) 錦絵 1枚 東京誌料N054-5-3

【画像】仮名手本忠臣蔵 三段目

 仮名手本忠臣蔵は、松の廊下での刃傷事件に始まる赤穂浪士の仇討を題材にした浄瑠璃作品です。後に歌舞伎でも上演されました。
 この錦絵は塩冶判官(えんやはんがん)が高師直(こうのもろなお)を討ち損じる場面を描いています。塩冶判官は浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)、高師直は吉良上野介(きらこうずけのすけ)を脚色した人物です。(36.5×24.3 cm)

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④ 本丸 大奥

8 寛永度絵図 大奥

かんえいど えず おおおく

【重要文化財】

[万治度] 写 1舗 縮尺1:400 東京誌料6181-6

【画像】寛永度絵図 大奥

 この図面には寛永度(1624-1645)とありますが、万治度(1658-1661)の大奥の平面図です。
 将軍の家族の生活の場であった大奥は、御殿向(ごてんむき)、広敷向(ひろしきむき)、長局向(ながつぼねむき)に分かれていました。御殿向は、御台所、将軍の生母や子女の生活の場、広敷向は大奥の管理を行う男性の広敷役人の勤務場所、長局向は奥女中たちの宿舎でした。大奥と中奥は塀で厳重に仕切られ、御鈴廊下(おすずろうか)と呼ばれた廊下だけでつながっていました。(72.0×72.0cm)

江戸東京デジタルミュージアムの関連記述はこちら

9 江戸錦 長局

えどにしき ながつぼね

楊洲周延画 松木平吉 明治36年(1903) 錦絵 1枚 東京誌料615-K1

【画像】江戸錦 長局

 長局(ながつぼね)は奥女中たちの住居でした。主に天守台の東側にあり、奥女中の役職によって住む部屋が決められていました。長局は2階建てで、奥女中の世話をする「部屋方」などと呼ばれる使用人と暮らしていました。
 「江戸錦」は明治になって江戸城大奥をテーマに描かれた錦絵のシリーズです。(24.8×34.8cm)

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⑤ 天守

 江戸城の天守は、家康、秀忠、家光の3人の将軍によって3回、造営されました。しかし、明暦3年(1657)の明暦の大火で焼失した後は、天守台だけが再築され、天守は再建されませんでした。

10 江戸御城御殿守正面之絵図

えど おしろ ごてんしゅ しょうめん の えず

【重要文化財】

[正徳度] 写 1幅 東京誌料6191-D3

【画像】江戸御城御殿守正面之絵図

 この図は、正徳(1711-1716)頃、新井白石らによって計画された天守再建のための絵図です。寛永度の天守を参考にし、5層5階、壁は銅板張りです。しかし、この計画は実現されませんでした。(150.0×107.0cm)

江戸東京デジタルミュージアムの関連記述はこちら

11 江戸城御天守建地割 江戸城御天守地繪圖(『諸絵図』収載)

えど じょう ごてんしゅ たて じわり えど じょうごてんしゅじえず しょえず

【重要文化財】

寛永度 写 1帖 縮尺1:200 東京誌料785-7

【画像】諸絵図

 寛永度の天守の側面図と平面図です。5層建てで石垣の中には穴蔵がありました。その規模は、近世の天守の中でも最大級でした。各階には多くの柱が設置され、武者走り(むしゃばしり)という廊下が部屋を取り巻いていました。
 この図が掲載されている『諸絵図』は甲良家5代目の甲良若狭棟利(むねとし)(生年未詳-1725)の時代に編集されたもので江戸城の門や櫓などが描かれた折帖です。(27.0×37.7cm)

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⑥ 紅葉山

 本丸と西丸の間にあった紅葉山には、東照宮や将軍の霊廟、書物蔵や具足蔵などがありました。
 東照宮では、4月17日の家康の命日や月命日に、将軍や代理の者による参詣が行われました。また、書物蔵は「御文庫(ごぶんこ)」と呼ばれる幕府の図書館で、書物奉行と同心が管理し蔵書目録も作成されていました。

12 御城内紅葉山惣絵図

ごじょうない もみじやま そうえず

【重要文化財】

享保度 写 1舗 東京誌料6152-1

【画像】御城内紅葉山惣絵図1

【画像】御城内紅葉山惣絵図2

【画像】御城内紅葉山惣絵図3

 この図の左下部分の貼紙は六代将軍家宣(文昭院)の霊廟部分です。霊廟の様子から正徳(1711-1716)初期の様子を描いた図と考えられます。袋には「享保十一丙午年二月」とあり、享保11年(1726)の作図と思われます。(91.5×100.1cm)

八代将軍吉宗は御文庫をよく利用していたそうです。

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⑦ 吹上

 吹上は、江戸城の北西部にある約13万坪の広大な庭園でした。江戸初期には御三家などの武家屋敷がありましたが、明暦3年(1657)の明暦の大火後は、防災のため武家屋敷は郭外(かくがい)に移され庭園として整備されました。園内は、吹上奉行などにより管理されていました。茶屋や馬場などもあり、様々な行事が催されていました。上覧所も設けられ、将軍が武術や相撲、祭りなどを上覧しました。

13 江戸城御吹上総絵図

えど じょう おふきあげ そうえず

【重要文化財】

文化度 写 1舗 東京誌料6153-1

【画像】江戸城御吹上総絵図

 文化2年(1805)頃の吹上全体の図です。石垣、土手、建物などが彩色されています。朱色の線は水道の樋が通っている道筋を表しています。図には梅林や馬場の他、茶屋や腰掛等の建物の書き込みがあります。(91.5×170cm)

吹上は、将軍やその家族とってお花見などの大切なレクレーションの場でもありました。

14 千代田之御表 於吹上公事上聴ノ図

ちよだ の おんおもてふきあげ に こうじ じょうちょう の ず

楊洲周延画 福田初次郎 明治30年(1897) 錦絵 3枚続 東京誌料614-C1-24

【画像】千代田之御表 於吹上公事上聴ノ図

 吹上に特設の裁判所を設け、御簾(みす)内より将軍が三奉行(寺社、勘定、町奉行)の裁判を見分しました。享保6年(1721)に八代将軍吉宗が行ったのが最初で、寛政5、6年(1793、94)や文化元年(1804)などにも実施されました。当時は経済活動の発展に伴い、多様な紛争が増加していました。吹上上覧は、奉行たちの励みとするとともに裁判の重要性をアピールする役割を果たしました。
 「千代田之御表」は、明治になってから江戸城の「表」の行事等を描いた錦絵のシリーズです。(36.0×71.0cm)

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主な参考文献

【図書】

タイトル / 編著 / 出版社 / 出版年 等請求記号
資料コード
江戸幕府大事典 / 大石学編 / 吉川弘文館 / 2009.12 R/210.50/5426/2009
5017864632
徳川幕府事典 / 竹内誠編 / 東京堂出版 / 2003.7 R/210.50/5133/2003
5007210134
よみがえる江戸城 徹底復元◆天下の巨城の全貌 / 平井 聖監修 / 学研 / 2005.9 T/34・521/5013/2005
5011622189
図解・江戸城をよむ 大奥 中奥 表向 / 深井雅海著 / 原書房 / 1997.3 2150/3229/97
1128379435
徳川盛世録 / 市岡正一著 / 平凡社 / 1989.1 2109/3004/89
1123348463
図書館と江戸時代の人びと / 新藤透著 / 柏書房 / 2017.8 010.2/5111/2017
7109253048
能・狂言事典 / 西野春雄編集委員 / 平凡社 / 2011.1 / 新版 R/773.0/5095/2011
5019743019

【雑誌記事】

論文名 / 著者 / 掲載誌 巻号 / 出版社 / 出版年 / 掲載ページ 等資料コード
「紅葉山文庫」という徳川家の財産 / 山本博文文 / 東京人 25巻 11号 通巻286号 (2010年9月) / 都市出版 / 201009.3 / p.58-65 5018749377
天守復元 / 三浦正幸文 / 東京人 25巻 11号 通巻286号 (2010年9月) / 都市出版 / 201009.3 / p.86-91 5018749377
甲良家文書の能舞台・橋掛 / 三木靖著 / 鹿児島国際大学考古学ミュージアム調査研究報告 第14集 / 鹿児島国際大学国際文化学部博物館実習施設考古学ミュージアム / 2017.3 / p.21-32 未所蔵

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