戦争と平和
劇映画
あ行
請求番号 | 題名 | 上映時間 | 色別 | 対象 | 製作 | 製作年 | 備考 |
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解説 | |||||||
D0750 | 青葉学園物語 | 103 | カラー | 小〜一般 | 映像企画 | 1980 | ヴィスタ |
広島の青葉学園は戦争で親を失った子ども達の養護施設。ガキ大将の和彦を中心に、ボータン、清、進、ター坊たちがくりひろげる世界に笑いが爆発する。逆境にありながら異年齢集団の中で、たくましく成長する子ども達を描く。原作:吉村直志郎 監督:大沢豊 出演:市毛良枝、鈴木瑞穂 | |||||||
D0485 | 赤いお月さま | 45 | カラー | 小〜一般 | 東映 | 1979 | |
終戦前後の混乱期に疎開先で出会った友は自分で育てた花に「赤いお月さま」と名づけ、それに平和への願いをこめて去っていった。それから30年2人の子の母となった主人公は、その友に同情しながらも周囲のびがみに左右されて信頼を裏切っていた事を知る。その2人の苦い友情を追いながら、戦争の残酷さと平和の尊さ、友情のあり方を訴える。原作:古世古和子 | |||||||
D0703 | 赤錆び色の空 | 100 | カラー | 中〜一般 | 映像グループ「翔の会」、「赤錆び色の空」製作実行委員会 | 1983 | |
大戦末期の大阪。学童疎開、空襲、敗戦で次つぎと家族を失い、ついに命を終えた少年の短かい生涯。登場人物はおおむね善人。朝鮮人の少年との友情もからませている。監督:松良星二 | |||||||
D0956 | 明日 TOMORROW | 105 | カラー | 一般 | ライトヴィジョン、沢井プロ、創映新社 | 1988 | ヴィスタ |
1945年8月8日。原爆投下前日の長崎。ひと組の夫婦の門出を祝うささやかな結婚式。式に列席した人々それぞれの翌朝までの一日、悲喜こもごもの出来事を淡々と描く。原作:井上光晴 監督:黒木和雄 出演:桃井かおり、南果歩ほか | |||||||
D0957 | 沖縄 第1部 一坪たりともわたすまい/TD> | 75 | モノクロ | 一般 | 劇映画「沖縄」製作上映委員会 | 1969 | |
日本復帰前、1969年の製作上映作品。アメリカ軍の接収で土地を失った青年島袋三郎。米軍の物資を掠めることは、せめてもの「抵抗」だった。米兵に追われたある日、玉那覇朋子に助けられる。朋子の住む平川村でも、土地接収計画が進んでいた。土地を守るために立ち上った人々の整然とした抗議と闘いを描く。監督:武田敦(D958と合わせて、一つの作品。同時利用可) | |||||||
D0958 | 沖縄 第2部 怒りの島 | 120 | モノクロ | 一般 | 劇映画「沖縄」製作上映委員会 | 1969 | |
十年後。沖縄からはB52爆撃機がベトナムに出撃していく。基地の弾薬工場では、三郎や暮しの手立てを奪われた平川村の人々が、連日の残業に追われていた。労働環境が悪化するなかで基地労働者の「十割休暇闘争」は着々と準備が進められていた。三郎は「スト破り」を強要されるが、一蹴する。高まる沖縄無条件全面復帰運動へのうねりを描く。監督:武田敦(D957と合わせて、一つの作品。同時利用可) | |||||||
D0752 | オキナワの少年 | 107 | カラー | 高、一般 | パル企画 | 1983 | ヴィスタ |
1970年冬、沖縄から映画製作を志して東京にきた比嘉常雄は、日雇い労働とシナリオ学校に通うなかでその夢を棄てかけていた。そんななか、しきりに思い出されるのは、暗いオキナワの少年時代であった...。原作:東峰夫 監督:新城卓 | |||||||
D0825 | 想い出のアン | 118 | カラー | 中〜一般 | 翼プロ | 1984 | |
昭和11年、長野県小布施教会。付属の療養所に赴任してきた院長の娘アンと、牧師の息子周作との幼い恋を、太平洋戦争開戦までの暗くきびしい時代を背景に描く。監督:吉田憲二 出演:山口崇、大空真弓 原作:和田登「青い目の星座」 |
か行
請求番号 | 題名 | 上映時間 | 色別 | 対象 | 製作 | 製作年 | 備考 |
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解説 | |||||||
D0755 多D0256 |
ガラスのうさぎ 東京大空襲 | 107 | カラー | 小(高)〜一般 | 大映映像、共同映画全国系列会議 | 1979 | |
12才の敏子は東京大空襲で母と妹2人を失い、疎開先の二宮で父をも失った。焼跡から見つけた無残に溶けたガラスのうさぎを抱き、ガラス工場再建を夢み、兄2人の復員を待つ。原作:高木敏子 監督:橘祐典 主演:長門裕之、長山藍子 | |||||||
D0972 | きけ、わだつみの声 | 130 | カラー | 一般 | 東映、バンダイ | 1995 | ヴィスタ |
戦後50年を記念して、新たに早坂暁の脚本によって創作された作品。昭和18年10月秋雨の神宮外苑、出陣学徒壮行会に集った若者達。それぞれの思いを胸に、フィリピン戦線に向った者、特攻隊員として沖縄に飛び立った者、徴兵拒否者として追われる者...。太平洋戦争下の生と死のはざまの青春を現代的なタッチで描く。監督:出目昌伸 | |||||||
D0263 | 記録なき青春 | 80 | モノクロ | 一般 | コザ上映委員会 | ワイド | |
ヒロシマの街に燃えつきたつかのまの青春。それは被爆2世の平和への叫び声。ひとつの愛の結末を通じて戦後の平和と繁栄を問題として描く。 | |||||||
D0856 多D0284 |
黒い雨 | 123 | モノクロ | 一般 | 今村プロダクション、林原グループ | 1989 | ヴィスタ |
昭和20年8月6日、海上で原爆の黒い雨を浴びた矢須子は、叔父夫婦のもとに引き取られる。しかし、次々と持ち込まれる縁談も、「ピカを浴びた娘」という噂のために、すべてこわれてしまう。淡々とした日常の描写の中に、三人の肉体を蝕んでいく原爆の恐しさを浮かび上がらせた傑作。1989年度キネマ旬報ベストワン。原作:井伏鱒二 出演:田中好子、北村和夫 監督:今村昌平 | |||||||
多D0304 | 原爆の子 | 96 | モノクロ | 小〜一般 | 近代映画協会、民芸 | ||
広島に投下された原爆によって、幼稚園児も被爆した。当時、幼稚園の教師をしていた石川孝子は、その頃の園児たちに会ってみたくなり、園児たちの家庭を訪問したが、原爆はそれぞれの人生に過酷な後遺症を残していた......。 |
さ行・た行
請求番号 | 題名 | 上映時間 | 色別 | 対象 | 製作 | 製作年 | 備考 |
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解説 | |||||||
D0908 | さくら隊散る | 109 | カラー | 一般 | 近代映画協会、天恩山五百羅漢寺 | 1988 | ヴィスタ |
移動演劇隊の一つである桜隊は昭和20年、巡演中広島で被爆し隊長の丸山定夫以下9人が殉難した。目黒の五百羅漢寺に原爆殉難碑が建立され、毎年追悼会が行われている。これは殉難を忠実に記録した亡き演劇人への鎮魂歌である。監督:新藤兼人 語り:乙羽信子 | |||||||
D0926 | 戦争と青春 | 106 | カラー | 中〜一般 | こぶしプロダクション、プロデュースセンター、「戦争と青春」制作委員会 | 1991 | ヴィスタ |
町の焼け残りの黒こげの電柱の撤去に賛成する父と"おばさんの目印がなくなってしまう"と反対する伯父。高校生のゆかりは夏休みの課題で東京大空襲の体験を父に聞くが語りたがらない。あの電柱にはつらい思い出が...。今井正監督の最後の作品。出演:工藤夕貴、井川比佐志ほか | |||||||
D0914 | 千羽づる | 95 | カラー | 小〜一般 | 共同映画、神山プロ | 1989 | ヴィスタ |
小学6年の佐々木禎子は2歳の時の被爆が原因で急性白血病と診断される。千羽折れば病気が治るとの願いをこめて鶴を折り統けるが病状は悪化。昭和33年、平和への祈りをこめ広島の平和公園の一角に原爆の子の像が建てられた。監督:神山征二郎 出演:倍賞千恵子、広瀬珠実 | |||||||
D0787 | 太陽の子 てだのふあ | 142 | カラー | 中〜一般 | 太陽の子プロ | 1980 | |
ふうちゃんの両親は神戸の下町で沖縄料理店を営む。店には沖縄の出身者がよく集まり、そこで交される話の中から、沖縄の苛酷な歴史に目を開かれてゆく。父も学生の時の戦争の記憶で心を病んでいた。監督:浦山桐郎 原作:灰谷健次郎 出演:原田晴美、河原崎長一郎 | |||||||
D0406 | 地下水道 | 96 | モノクロ | 一般 | ポーランド国立映画 | 1956 | |
1957年カンヌ映画祭受賞のアンジェイ・ワイダ監督作品。1944年、ドイツ占領軍からワルシャワ市を奪還しようとするポーランドの抵抗組織のエピソード。字幕スーパー | |||||||
D0553 多D0195 |
チャップリンの兵隊さん | 42 | モノクロ | 一般 | ユナイト映画(米) | 1918 | |
第一次世界大戦の終戦直前に封切られた、第一次世界大戦を素材とする戦争コメディー。原題:Shoulder arms. サウンド 字幕スーパー | |||||||
D0335 | 抵抗の詩 | 85 | カラー | 中、高、一般 | FRZフィーチャーフィルム | ||
ナチ占領下のユーゴの田舎町で、子供達のグループが自然発生的にドイツ軍に反抗し、虐殺される大人たちと一緒に皆殺しにされてしまう。子供達の夢を破った戦争への激しい怒りをこめた抵抗と鎮魂のドラマ。 | |||||||
D0473 | 抵抗の詩Ⅱ 日本語版 | 95 | カラー | 小〜一般 | FRZフィチャー・フィルム(ユーゴ) | 1974 | |
お祭りも結婚式もぼくたちだけのもの!戦火の中にとり残された子どもたちの村にいま、不気味な足音が―<抵抗の詩>のスタッフがけなげな愛と勇気を詩情豊かに描く。監督:トーリ・ヤンコビッチ | |||||||
D0766 | てんびんの詩 第三部 激動編 | 98 | カラー | 中〜一般 | 日本映像企画 | 1988 | |
大作は外地へ召集され、日本軍のイギリス人捕虜への仕打ちに怒り、現地の人びとの大きな犠牲を知る。敗戦で帰国すると大阪の店は焼失、父と弟は死亡。五箇荘に移した店も存亡の危機に。企画・脚本:竹本幸之助 監督:太田昭和 出演:下元勉、長内美那子 | |||||||
D0802 | 時計は生きていた | 62 | パートカラー | 小〜一般 | 共同、近代映画協会 | 1973 | |
1945年春、群馬県前橋市。5年生の守は弟や友達と、遊びや防火演習や手伝いに、毎日、楽しくたくましく過している。しかし空襲が現実のものとなり、一家をおそってきた。地中に埋めた柱時計は生き残ったが...。原作:小暮正夫 監督:神山征二郎 | |||||||
D0403 D0458 |
灯は生きていた | 85 | カラー | 一般 | フィルム・ポルスキー、シネマ・アベ | 1976 | |
被爆2世の青年を主人公に、ヒロシマ、パリ、ワルシャワを舞台として、「ノー・モア・ヒロシマ」「ノー・モア・アウシュビッツ」を描き出す。日本・ポーランド合作映画。監督:阿部野人 一部スーパー |
な・は行
請求番号 | 題名 | 上映時間 | 色別 | 対象 | 製作 | 製作年 | 備考 |
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解説 | |||||||
D0429 | 人間であるために | 107 | モノクロ | 一般 | 新映画協会 | 1974 | ワイド |
世界で初の原爆裁判は、二人の弁護士の強固な信念に端を発している。この実際に起った原爆裁判を縦の線として取りあげる一方、被爆二世、朝鮮人被爆者、童話作家等の多彩な人物設定を加味した人間ドラマ。監督:高木一臣 | |||||||
D0661 | 人間の運命 日本語版 | 75 | モノクロ | 一般 | モスフィルム(ソ連) | 1959 | |
「ひどい目にあった。ひどいなんてもんじゃないよ。」岸辺にいたいけな少年を遊ばせてソロコフは老人に向って語り始めた。永遠のテーマ・戦争と人間を追究してやまないセルゲイ・ボンダルチュク監督のデビュー作。原作:ショーロホフ | |||||||
D0617 多D0242 |
はだしのゲン〔第1部〕 | 107 | カラー | 小〜一般 | 現代ぷろだくしょん | 1976 | |
太平洋戦争末期から原爆投下、さらに敗戦に至る広島市を背景に、様々な苦労や困難にも挫けずたくましく生きぬいてゆく少年の姿を通し、戦争と原爆の恐ろしさを描く。原作・中沢啓治監督:山田典吾 | |||||||
D0568 多D0244 |
はだしのゲン 第二部 涙の爆発 | 123 | カラー | 小〜一般 | 現代ぷろだくしょん | 1976 | |
中岡ゲンは、原爆で父と姉と弟を失った。被爆直後に生まれた妹友子のために米を求めて似島に行った帰り、死んだ弟進次にそっくりの少年隆太に出会うが、なぐり倒されたゲンは米をとられてしまった。この第2部では広島の町でたくましく生きるゲンと被爆孤児たちの姿をユーモアを交えて描き、差別を生みだす被爆の残酷さと悲惨さを訴える。 | |||||||
D0719 多D0253 |
はだしのゲン 第三部 ヒロシマのたたかい | 128 | カラー | 小〜一般 | 現代ぷろだくしょん | 1986 | ヴィスタ |
1946年広島。ゲンの一家は防空壕暮し。原爆症で髪はぬけ、乳児の妹はやせ衰えていく。米軍キャンプから妹のミルクを盗んだゲンと隆太。ヤクザがミルクをだましとったとき、隆太は拳銃で男たちをうちころす。米軍兵相手の売春をする級友の姉、妹の死。子どもの世界に入りこむ酷薄な現実。出演:丘さとみほか | |||||||
D0637 | ハンガリアン | 110 | カラー | 一般 | ダイアローグ・ステューディオ(ハンガリー) | 1977 | |
1942年冬、雪に閉ざされたハンガリーの寒村をあとに、10人の農民は同盟国ドイツの農場へ出稼ぎに旅立った。農作業にはげむ日々、善良で無知な彼らも、やがて戦争という現実を目撃していく。小国ハンガリーの悲劇を、働きつづける農民たちの寡黙な姿に重ね合わせた秀作。監督:ファーブリ・ゾルタン 字幕スーパー | |||||||
D0291 | 冬の朝 | 60 | モノクロ | 一般 | レンフィルム | ||
第二次世界大戦のさなか、ドイツ軍の包囲と空襲にさらされた厳寒のレニングラードの街、二つの幼い生命がたすけあいむすびあい、生きつづける。 | |||||||
D0906 | 冬のリトルボーイ | 88 | カラー | 小〜一般 | 平和プロ | 1981 | |
広島市の小学校に通う3人の被爆二世。原爆の後遺症の不安に怯えながら、それぞれの母親が強く生きようと決意する矢先、祥二が倒れる。「祥二、ガンバレ」と叫ぶクラス全員。夏に受けた被爆の苦しみを乗り越え、冬に生命を育む広島の子どもたちの群像を描く。監督:木之下晃明 | |||||||
D0512 多D0199 |
平和の谷 日本語版 | 80 | モノクロ | 中〜一般 | ユーゴUNフィルム | 1956 | |
第二次大戦中、ドイツ軍占領下のユーゴスラビアで、爆撃でともに家や両親や心の平和を失った8歳の少年と3歳の少女が、祖母から聞いていた戦争のない平和な場所《平和の谷》を目指して、戦火をのがれにげる。途中、パラシュートで降下した米軍の黒人兵に助けられ、はげまされながらドイツ軍の執拗な追跡が続く中を《平和の谷》へ向う。監督:フランツェ・シェテグリッチ | |||||||
D0443 | 僕の村は戦場だった 日本語版 | 75 | モノクロ | 一般 | モスフィルム(ソ連) | 1962 | |
戦争で肉親を失い、一人残された少年イワンは、ナチ、ドイツヘの限りない憎悪のため、命がけの斥候を強引にかって出た。僕のふるさとを緑の平和でいっぱいにしたかったのに...戦火の中に消えて行ったイワン少年への限りない愛をこめて、戦場の詩を描く。監督:アンドレイ・タルコフスキー |
ま行
請求番号 | 題名 | 上映時間 | 色別 | 対象 | 製作 | 製作年 | 備考 |
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解説 | |||||||
D0591 | マルシカの金曜日 | 90 | カラー | 一般 | チェコスロベンスキー・フィルム | 1972 | |
第二次大戦前夜のチェコで、対独抵抗運動のさなか捕えられ処刑されたマルシカの、勇気と誇りにみちた22歳の短かい青春を描く。いまなおチェコ国民の心に生き続ける実在のレジスタンスのヒロインが、踏みにじられた美しい祖国といとしい人々への限りない愛と苦悩をこめて獄中ひそかにつづった真実の手記をドラマ化した作品。原題:つばめたちにさよなら 監督:ヤロミール・イレッシュ 字幕スーパー | |||||||
D1082 | みんなわが子 | 92 | モノクロ | 小〜一般 | 全国農村映画協会 | 1963 | |
東京の国民学校の児童たちが戦時中、山梨県へ疎開した当時の体験をもとに、都会の疎開児童が農村生活で経験した戦争の実態とやむなく別れ住む親子の姿を描く。主演:中原ひとみ 監督:家城巳代治 |
アニメ
数字・アルファベット
請求番号 | 題名 | 上映時間 | 色別 | 対象 | 製作 | 製作年 | 備考 |
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解説 | |||||||
多B0497 | 100ばんめのサル | 17 | カラー | 幼〜中 | 共和教育 | ||
宝石のように光り輝く私たちの星、地球。しかし、もし核爆弾が使われたら、この星は一瞬で死の世界に変わるのです。ある時、日本の南の島で、1匹のサルが芋を洗って食べ始めました。そして、芋を洗うサルが100匹になった時、不思議なことが起こりました。 | |||||||
B1016 | 21世紀へのメッセージ | 19 | カラー | 幼〜中 | 学研 | 1987 | |
非核平和都市宣言2周年を記念して、品川区が製作。原始時代から現代まで歴史をたどり、今日の繁栄が多くの犠牲と努力の上に築かれたこと、現在の平和を維持するために私達が何をしなくてはならないか考えさせる。 | |||||||
A0309 | 8月9日・長崎 | 10 | カラー | 小〜一般 | 読売映画社 | 1980 | |
これは、「ピカドン」と並ぶ原爆の悲劇を描いたアニメーションである。被爆前の長崎の静かなたたずまいが紹介され、やがて上空にB29「ボックスカー」の機影が爆音とともに現れる。8月9日午前11時2分...。監督:西本祥子 |
あ行
請求番号 | 題名 | 上映時間 | 色別 | 対象 | 製作 | 製作年 | 備考 |
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解説 | |||||||
D0953 | 蒼い記憶 満蒙開拓と少年たち | 90 | カラー | 小(高)〜一般 | 満蒙開拓・映画製作委員会 | 1993 | |
日中戦争のさなか、多くの人を満蒙開拓に送った長野。山村の少年恭太も、同級生と共に「満蒙開拓青少年義勇軍」に志願する。昭和19年夏、憧れの蒼い大平原に渡ったが...。翌年夏、ソ連軍の進攻に始まる逃避行の日々。監督:出崎哲 | |||||||
A0281 | 赤い花 | 10 | カラー | 幼、小 | ドレスデンアニメーション撮影所(東独) | 1974 | |
かわいい少年と少女が花を育ててだいじにしていると、悪人がこの花をつぶしてしまおうと、いろいろ考えるが花は負けないで、少年少女は勝つことができ花畑を広げていく...愛と平和を美しくアニメで描く。 | |||||||
A0694 | 雨はやさしく | 11 | カラー | 中〜一般 | ウズベクフィルム(ソ連) | 1984 | |
2026年の12月31日の朝、アメリカのある町の核シェルターの内。ロボットが朝食を準備し、家の者を起こす。しかし、それに応えるのは人間の灰だけ。「暗い日曜日」という郷愁的な流行歌が全編に流れる。原作:レイ・ブラッドベリ 脚色・監督:ナジム・トゥリャホジャーエフ。字幕スーパー | |||||||
D0977 | うしろの正面だあれ | 92 | カラー | 小(高)〜一般 | 虫プロ | 1991 | ヴィスタ |
東京・本所、下町の竿師の家に生まれたかよ子は、友達や家族に囲まれて明るく成長する。長火鉢に祖母がキセルをはたく音、夕食時の路地に漂うおいしそうなにおい...。昭和20年3月9日夜、12歳のかよ子は、縁故疎開先の沼津で箱根の東の空が真っ赤に燃えるのを見た。原作:海老名香葉子 | |||||||
C1452 | 煙突屋ペロー | 23 | モノクロ | 幼〜一般 | 1930(原版):童映社 1987(復元版):シネマ・ワーク、グループ・タック | ||
ペローは、不思議な"兵隊の出る卵"を手に入れた。戦争が始まり、その卵を使って手柄を立て沢山のほうびをもらって田舎へ帰る。途中いたましい戦禍の跡を目にし、「戦争なんてなくなれ」と卵を投げ捨てる。1930(昭和5)年の原版の後半欠落部分を復元し、語りを入れた影絵アニメ。 | |||||||
B0989 | おかあさんの木 | 22 | カラー | 小〜一般 | 東映 | 1986 | |
日中戦争が始まり、七人の男の子を戦場に送り出すたびに、母親は一本ずつ桐の木を植えては、朝晩、語りかける。次つぎと戦死の知らせが入り、泣きくずれる母。原作:大川悦生 | |||||||
C1306 | おかあちゃんごめんね | 26 | カラー | 幼、小 | 翼プロ | 1985 | |
「逃げるんや!絹ちゃん!どこまでも逃げるんや...」病身のおかあちゃんが炎の中に消えた夜。昭和20年大阪・堺の大空襲の体験を記録する。「おこりじぞう」に続く平和人形アニメーション。原作:早乙女勝元(草土文化刊) | |||||||
C1224 C1226 |
おこりじぞう | 27 | カラー | 幼、小 | 翼プロ | 1983 | |
いつも笑顔の「わらいじぞう」と仲良しの女の子ひろちゃんは、8月6日、6歳の誕生日を楽しみに迎えた。が、その日...じぞうは怒り続ける、戦争のなくなる日まで。人形アニメで、核兵器の恐ろしさ、平和と生命の尊さを幼い子供達にも強く訴える。原作:山口勇子 | |||||||
D0905 | おばけ煙突のうた | 44 | カラー | 小 | こぶしプロ、(株)アスミック | 1993 | |
見る角度によって4・3・2・1本と違って見えることから「おばけ煙突」の愛称で東京下町の人々に親しまれていた東京電力千住火力発電所の4本の煙突。この煙突を見つめ、暗く苦しい戦時下の中でも夢を持ち続けた勝平や頑太たちの姿を生き生きと描く。原作:早乙女勝元 | |||||||
D0933 | お星さまのレール | 75 | カラー | 小、中 | 協同組合全国映画センター、テレビ東京 | 1993 | |
朝鮮の北・新義州、1940年、小学校入学を前に、チコは楽しみにしていた赤いランドセルを買ってもらえなかった。間もなく植民地支配から一転敗戦、朝鮮半島を舞台に引揚げの為の38度線を越える逃避行がはじまる。原作:小林千登勢 |
か行・さ行
請求番号 | 題名 | 上映時間 | 色別 | 対象 | 製作 | 製作年 | 備考 |
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解説 | |||||||
B1011 多B0425 |
核戦争 学習アニメーション | 15 | カラー | 小(高)〜一般 | 遊学舎 | 1987 | |
核ってなに?核戦争になったらどうなるの?という子どもたちの問いに答えられるよう、具体的にグラフ・図表・地図などを効果的に使って、核問題の本質を科学的、論理的にわかりやすく説明している。 | |||||||
B1317 | 君知っている?首都炎上 アニメ東京大空襲 | 18 | カラー | 小(高)〜一般 | 平和博物館を創る会 | 1988 | |
一夜にして、10万人以上がなくなった1945年3月10日の東京大空襲の惨状を体験者の証言をもとに、アニメで再現した映画 | |||||||
B1316 | 原爆ド-ム物語 | 15 | カラー | 小〜一般 | ワイズ | 1991 | |
「ヒロシマ」のシンボルである原爆ドーム(旧・広島県産業奨励館)の誕生(1915年)から被爆(1945年)そして現在にいたるまでの歴史を紹介。戦争と平和を考えるためのアニメ | |||||||
C1659 | 最後の空襲 KUMAGAYA | 29 | カラー | 小 | スタジオロータス | 1993 | |
東京空襲で孤児になったさちこ(7才)は、熊谷の叔父に引き取られ、従兄弟の良雄達と楽しい一時を過ごすが、終戦前夜の熊谷空襲で犠牲になり、良雄も不発弾の暴発で命を落とす。「ピカドン」の木下蓮三監督による。原作:木下小夜子 | |||||||
C1688 多C0806 |
十六地蔵物語 戦争の犠牲になった子どもたち | 26 | カラー | 小 | 読売映画社 | 1994 | |
1944年9月、空襲の危険を避ける為、大阪市南恩加島国民学校の学童が徳島県貞光町に集団疎開した。しかし、生活はつらく過酷で厳冬の1月に火災が発生し男子16名が焼死。生き残った者も大阪の大空襲に会うなど戦争の犠牲になった子ども達の悲惨さを訴える。原作:原田一美 | |||||||
D0834 | 白旗の少女 琉子 | 61 | カラー | 小〜一般 | 共同映画全国系列会議 | 1988 | |
太平洋戦争末期の沖縄。アメリカ軍上陸後、母を亡くし、1人戦火の中をさまよう少女琉子。最後に逃げこんだ濠で、日本軍の兵士は住民に自決を要求。琉子にやさしくしてくれた少年通信兵幸多は、降伏の白旗をもって濠を出ようとして、日本兵に撃たれる。琉子はかわりにその旗をもって出ていく。米軍の記録フィルムの中の少女の姿から創造した絵本『りゅう子の白い旗』(築地書館)をもとにしている。脚本・監督:出崎哲 | |||||||
C1676 | しんちゃんのさんりんしゃ | 24 | カラー | 小 | 広島映画社、マジックバス | 1994 | |
広島の原爆資料館に1台の赤錆びた三輪車が展示されている。食物も玩具もない戦争の末期、三輪車の絵本を宝物にしていた当時3才の鉄谷伸一がやっと手に入れたもの。原爆は楽しい夢ばかりでなく生命までも一瞬に。原作:児玉辰春 | |||||||
B1361 | せかいいちうつくしいぼくの村 | 16 | カラー | 幼〜一般 | 東映 | 2002 | |
戦乱絶え間ないアフガニスタンの小さな村パグマンに住む、少年ヤモが、お父さんと共に、町へ行商へ行き、様々な人に出会うという、ある平和な1日の光景を描いた、小林豊の絵本を映画化した作品 | |||||||
D0907 | 象のいない動物園 | 77 | カラー | 小〜一般 | ヘラルド・エンタープライズ、グループ・タック | 1982 | |
太平洋戦争下の昭和18年、上野動物園で危険だと象のトンキーをはじめ多くの猛獣が殺された。この小学2年生の教科書にも載った実話をもとに命の大切さを訴え、戦後の焼け跡の中、健気に生きる子供たちへの夢のシンボルとして象のインディラをむかえるまでを感動的に描く。 | |||||||
D0234 | 象のハナ子 | 60 | カラー | 幼、小、中 | 近代映画協会 | ||
親子映画の作品。戦争下の動物園、象の生死をかけた三吉少年の活躍。日本の動物園にあった本当のはなし。 | |||||||
D0947 | ぞう列車がやってきた | 75 | カラー | 小 | 映画「ぞう列車がやってきた」製作委員会 | 1992 | |
ポッポのお父さんは東山動物園長。戦争が激化して猛獣の処分を再三迫られる。ポッポ達は食糧も乏しい中、なんとか動物達を助けようとする。戦争が終わると象は東山動物園の二頭だけが残った。やがて象を見た事のない子等の為に貸してほしいという話が持ちこまれる。 |
た行
請求番号 | 題名 | 上映時間 | 色別 | 対象 | 製作 | 製作年 | 備考 |
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解説 | |||||||
B1053 | ちいちゃんのかげおくり | 18 | カラー | 小 | 映像工房むう | 1988 | |
十かぞえる間、影法師をじっと見つめてから空を見上げると、空にそっくり影が映ってみえる。こんな影おくりの遊びを教えて、お父さんは戦争へ行った。やがて町も空襲にあい、母さん、兄さんそして幼いちいちゃんの命も空に消えた。人形アニメ。原作:あまんきみこ | |||||||
D0674 | 対馬丸 さようなら沖縄 | 70 | カラー | 幼、小 | 「対馬丸」製作委員会 | 1982 | |
昭和19年8月22日夜、沖縄の学童800余名を含む1、661名を乗せた学童疎開船は潜水艦の魚雷攻撃をうけ沈没した。生存学童は僅か59名。痛ましい沖縄戦の序曲となった対馬丸事件を大城立裕等著「悪石島」より脚本化。 | |||||||
C1651 多C0797 |
つるにのって とも子の冒険 | 26 | カラー | 小 | ピースアニメの会 | 1993 | |
夏休みのある日、原爆資料館を訪れた小学6年のとも子は、原爆の恐ろしさに圧倒され重い足どりで平和公園の中を歩く。頭の上に折り鶴を掲げた少女の像の前で鶴を折ったら、その像が動きだしてサダコとの冒険が...。原作:ミホ・シボ | |||||||
B1346 | 天に焼かれる -絵による証言 金崎是- | 17 | カラー | 小〜一般 | ワイズ | 1988 | |
被爆直後の惨状、原子爆弾の恐ろしさ、残酷さをアニメで描いた作品。原爆で身内を奪われた金崎是(かなざき・すなお)さんが描き続けてきたスケッチをもとにしたドキュメンタリーアニメ | |||||||
B0993 多B0395 |
トビウオのぼうやはびょうきです | 19 | カラー | 幼、小 | 翼プロ | 1982 | |
1954年、南太平洋のビキニ環礁で水爆実験が行われ、死の灰を浴びた第五福竜丸の乗組員が死亡した。その時、海の魚たちの世界も汚染され、波の上を遊びまわっていたトビウオの一家にも死の影が...。原作:いぬいとみこ |
な行・は行
請求番号 | 題名 | 上映時間 | 色別 | 対象 | 製作 | 製作年 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
解説 | |||||||
C1516 | ながさきの子うま | 27 | カラー | 小 | 翼プロ | 1989 | |
1945年春の長崎。農家で子馬が生まれた。出征中の父にかわり兄妹は子馬の面倒をみて、大の仲良しになる。8月9日原爆が落ちた。兄妹は行方知れず、母馬の体も被爆でふくれあがってゆく。原作:大川悦生 監督:河野秋和 | |||||||
C1482 | 夏服の少女たち ヒロシマ・昭和20年8月6日 | 30 | カラー | 小〜一般 | NHK | 1988 | |
学徒動員で全員が被爆死した旧広島県立第一高女一年生の森脇瑶子の日記をもとに、少女達の入学から8月6日までのつかの間の青春を描く。ボロボロになった夏服を、形見として守り続ける両親の悲しみを実写をはさんで写す。 | |||||||
B1345 | 日本国憲法 | 15 | カラー | 小 | ワイズ | 1989 | |
主権在民、平和主義、基本的人権の尊重を3大特色とする日本国憲法を、以前の大日本帝国憲法と比較しながら、そのしくみをわかりやすくアニメで描く | |||||||
B1298 | はとよひろしまの空を | 21 | カラー | 幼・小 | 東映 | 1999 | |
1945年、太平洋戦争末期。かわいがってくれた飼い主の少年を原子爆弾でなくした一羽の鳩。焼け跡の町を必死に生き抜こうとした鳩の姿を通して、命と平和について考えるアニメ映画。原作:大川悦生 | |||||||
A0739 | ピカドン | 10 | カラー | 幼〜一般 | スタジオ・ロータス | 1978 | |
幼い子が紙飛行機で遊んでいる。母親は赤ちゃんに乳をふくませている。一瞬、おそいかかるピカドン。崩れおちる広島の街。焼けとける人。原爆のむごさを静かに力強く訴える。せりふは無い。監督:木下蓮三 | |||||||
C1592 | 一つの花 | 23 | カラー | 小、中 | 光商会 | 1991 | |
太平洋戦争真只中の昭和19年。いつもおなかをすかしている幼いゆみ子の口癖は、「一つだけちょうだい」だった。出征の時、駅で、握り飯をほしがるゆみ子に、代わりに一輪のコスモスをくれた父親は、とうとう戦争から帰ってこなかった。戦争のむごさを静かに訴える今西祐行の原作を動画化。脚本・監督:神山征二郎 | |||||||
D0736 | ビルマの竪琴 | 43 | カラー | 小(中)〜一般 | 日本アニメーション | 1986 | |
太平洋戦争末期、ビルマ戦線を敗走する日本軍の中に合唱の得意な一小部隊があった。竪琴の名人水島上等兵は日本軍説得の為戦地に向ったまま部隊に戻らない。敗戦後、「一緒に日本に帰ろう」という戦友の願いもむなしく、異国の地に散った同胞を弔うため、僧侶になってとどまる水島上等兵の姿があった。原作:竹山道雄 | |||||||
C1731 | ヒロシマに一番電車が走った | 31 | カラー | 小、中 | NHKソフトウェア | 1994 | |
広島の路面電車の車掌は、大戦中、女学生が家族と離れ、寮生活をしながら勤めた。被爆後、幸い無事だった弥生は母の安否を確かめに爆心地へ行ったがそこは地獄だった...。NHKが被爆後の生活の手記をもとに制作したアニメ。 | |||||||
A0333 | ヒロシマのうた | 11 | カラー | 幼、小 | ヘラルド・エンタープライズ、グループタック | 1980 | |
広島に原爆が落とされてから17年たった8月6日被曝者の霊をとむらう灯籠が川面に揺れる夕べ、すっかり変った広島の町を歩きながら、私は一人の少女のその生いたちを語ってきかせた...。被爆孤児という宿命にもめげずけなげに生きてゆこうとしている少女ヒロ子の姿に、私は二度と戦争があってはならないと思うのだった。原作:今西祐行 脚本:森崎東 | |||||||
C1677 | ひろしまのエノキ | 24 | カラー | 小 | 共同映画、マジックバス | 1989 | |
広島市の爆心地から北1キロの所に原爆で傷ついた古いエノキがある。陸軍病院の跡でこの木陰が傷病兵たちの憩いの場であったという。基町小5年桑野学級の大きく育ての活動が始まるが台風で幹が...。原作:長崎源之助、二俣英五郎 | |||||||
C1776 | 平和の使者 青い目の人形物語 | 34 | カラー | 小、中 | アスパ | 1995 | |
昭和2年に一米国人宣教師から日米の"平和の親善大使"としてわが国の学校等に贈られた「青い目の人形」1万2千体は、太平洋戦争中、戦意高揚のために焼却・破壊されていった。戦争と憎悪から人形を守る教師と生徒達の闘いを描き、子どもたちに平和への願いを伝える。 | |||||||
B1362 | ぼくの村にサーカスがきた | 14 | カラー | 幼〜一般 | 東映 | 2002 | |
ある日、パグマン村に、サーカスがやってきました。少年ヤモも、笛の上手な、友だちのミラドーと共に、見物にいきました・・・。B1361「せかいいちうつくしいぼくの村」の姉妹編。原作:小林豊 | |||||||
D0952 | 火垂るの墓 | 88 | カラー | 小(高)〜一般 | スタジオジブリ | 1988 | ヴィスタ |
昭和20年6月、神戸の空襲で家も母も失った14才の清太と4才の節子。西宮のおばの家の居心地は、良くない。蛍の飛び交う頃、池のほとりの壕で、二人だけで暮し始めるが、節子は衰弱してゆく。原作:野坂昭如 監督:高畑勲 |
ま行
請求番号 | 題名 | 上映時間 | 色別 | 対象 | 製作 | 製作年 | 備考 |
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解説 | |||||||
D0885 | まっ黒なおべんとう | 48 | カラー | 小、中 | 共同映画 | 1993 | |
広島の原爆資料館に中味が、まっ黒に焦げたお弁当箱が展示されている。疎開家屋取り壊し作業中に被爆死した5,618名のうちの1人、広島第二中学一年の折免滋とその母シゲコとの悲しくも、母性愛あふれる情景を切々と描き出す。 | |||||||
B0997 | マヤの一生 | 21 | カラー | 小 | テレビ東京、和光プロ | 1982 | |
太平洋戦争が激しくなり、鹿児島では犬を飼うことも許されなくなる。主人公の一家は、愛犬マヤを殺させまいと、さまざまな方策を重ねるが、遂に最後の日がくる。原作:椋鳩十 | |||||||
C1642 | みいちゃんのてのひら | 24 | カラー | 小 | 共同、マジックバス | 1993 | |
きく子は昭和20年、深川区森下町の民造叔父さんの家で、お手伝いのみいちゃんと出会う。その夜の東京大空襲で民造一家が...。ふっくらとした手の感触が今も心に残っている。稲葉喜久子さんの戦争体験をアニメ化。 |
記録映画
数字・アルファベット
請求番号 | 題名 | 上映時間 | 色別 | 対象 | 製作 | 製作年 | 備考 |
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解説 | |||||||
T1105 | 21人の難民家族 | 15 | カラー | 一般 | 東京都映画協会 | 1981 | |
救助が待たれるインドシナ難民。奇跡的に家族21人欠けることなく戦乱を逃れ、日本に定住しようと頑張るチェインさん一家。受け入れ先小平市の写真用品メーカーや子供たちの学校での様子など周囲の人々との係りの努力を紹介。 | |||||||
D0997 | SAWADA 青森からべトナムへ ピュリッツァー賞カメラマン沢田教一の生と死 | 115 | カラー | 一般 | みちのく銀行 | 1996 | |
ベトナム戦争報道でピュリッツァー賞を受賞、内戦のカンボジアで死んだカメラマン沢田教一(1936-1970)の生と死の記録映画。沢田の作品と家族や先輩、同僚たちの証言で沢田の軌跡を描く。監督:五十嵐匠。 |
あ行
請求番号 | 題名 | 上映時間 | 色別 | 対象 | 製作 | 製作年 | 備考 |
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解説 | |||||||
D0686 | 赤い月の街 呉空襲 | 35 | カラー | 中〜一般 | 呉の戦災を記録する1フィート運動呉市民の会映画製作委員会 | 1985 | |
明治初年から軍事基地として栄えた呉市は第二次大戦末期に何回も空襲をうけた。日本側・アメリカ側の実写フィルム、被災体験を語る老人の声に、回想を影絵で劇的構成した挿話をおりまぜ、高校生たちがたどる戦争の傷跡。 | |||||||
D0259 | あけもどろ | 46 | カラー | 一般 | あけもどろ制作上映委員会 | ||
昭和47年5月15日、沖縄は本土に復帰した。これを境として、沖縄県民が歩んで来た生活を振り返り、今後の生くべき道を追求する。 | |||||||
A0352 | 明日への伝言/悪魔の火球 | 11 | カラー | 一般 | 子どもたちに世界に!被爆の記録を贈る会映画製作委員会 | 1980 | |
「明日への伝言」―原爆記録映画「にんげんをかえせ」〔C1165〕の予告編として作られたもの。全編に流れる歌声が美しく哀しい。「悪魔の火球」―昭和20年8月9日午前11時2分、人類第二の原爆が長崎に投下された。炸烈する火の球、異様なキノコ雲―米軍観測撮影機がとらえた、永劫とも思える悪夢の一瞬である。 | |||||||
C1781 | あの日―この校舎で 五十年前に被爆したナガサキの記憶 | 30 | カラー | 一般 | 映像社、岩波映画 | 1996 | |
原爆投下直後の長崎で救護所とされ、7千人もの被爆者が運びこまれた新興善小学校。50年前ここで医療に当たった看護師や看護学生、当時の小学生たちが、当時の記録フィルムとともに、目撃した人体被爆の状況を次々に語る。 | |||||||
D0879 | ある同姓同名者からの手紙 | 48 | カラー | 一般 | シネマボックス | 1992 | |
1989年、東京に住む金高謙二は長崎に住む金高謙二から手紙を受け取る。長崎の原爆の追想記だった。長崎を訪れた彼に、金高謙二は当時の事を淡々と語る。当時の実写や資料館に保存されている妻の遺品等を紹介しながら、証言が続く。 | |||||||
C0774 | 生きる その証しのために | 30 | カラー | 一般 | 独立映画社 | ||
戦後30年、戦争を知らない人びとが増えていく今、原爆の苦しみ、悲しみ、怒りをかかえながらたくましく生きぬこうとする被曝者...最後の被曝者でありたいと願いながら強く生きぬく姿を描く。 | |||||||
D0387 | 生きる 沖縄・渡嘉敷島集団自決から25年 | 52 | モノクロ | 一般 | 無明舎 | 1971 | |
太平洋戦争末期の1945年3月、事実上の国内戦であった沖縄戦の先がけとして慶良間列島では戦闘が起こり、前後して座間味、渡嘉敷島で島民の集団自決があった。この記録映画はその集団自決に対する島民の様々な思いにつきあたりながら、その真相を渡嘉敷島住民の中に探り出そうとした軌跡である。1971年。山谷哲夫監督。 | |||||||
C1316 | 戦場ぬ童 | 26 | カラー | 一般 | 「戦場ぬ童」映画製作委員会 | 1985 | |
ガマ(洞窟壕)に今なお残る累々たる白骨、その上にそびえる巨大な米軍通信基地。この沖縄風景には40年に亘る深い傷痕が刻まれている。1フィート運動フィルムと、母親となった当時の児童の証言で綴る記録映画。 | |||||||
B0940 | 海 いま、トマホークが... | 13 | カラー | 一般 | 平和のアトリエ、日本電波ニュース社 | 1984 | |
監視レーダーの目を逃れ、自動誘導飛行で目標を確実に破壊する核巡航ミサイルの脅威を、米海軍用フィルムと10フィート映画運動フィルムにょって写し出し、新配備により、日本の海が米ソ核戦争の舞台となる危険性を訴える。 | |||||||
C1709 | お母さんの声がきこえる 平和な明日ヘ | 30 | カラー | 小〜一般 | 新生映画 | 1989 | |
昭和20年3月10日の東京大空襲、その生々しい戦場を記録した絵。家族をなくし、焼けあとでみつけた遺品。八王子では爆撃された子のランドセルを背負いつづけるお地蔵さん。戦禍の生き証人達が平和への願いを込めて語りかける。 | |||||||
D0718 | 沖縄戦 未来への証言 | 55 | カラー | 中〜一般 | 子どもたちにフィルムを通して沖縄戦を伝える会 | 1986 | |
戦後40年たった今、沖縄戦がなんであったのか、問いつづけて遺骨を収集する人々の姿。米軍の沖縄戦の実写フィルム。大きな基地の点在する沖縄。未来に目を見すえて、戦争の実体をじっくりと暴いてゆく。中でも日本軍の犠牲になった住民の悲劇に胸をつかれる。 | |||||||
D1045 | 教えられなかった戦争・沖縄編 -阿波根昌鴻・伊江島のたたかい- | 112 | カラー | 一般 | 映像文化協会 | 1998 | |
沖縄本島の北の沖合の島・伊江島の反戦地主阿波根昌鴻。沖縄の抵抗の歴史と彼の思想形成太平洋戦争沖縄戦と米軍による占領と伊江島の人々の闘争沖縄の米軍基地の現状などを彼の証言を中心に描く記録映画 | |||||||
D0889 | 教えられなかった戦争 侵略・マレー半島 | 105 | カラー | 一般 | 映像文化協会 | 1993 | |
大平洋戦争で日本軍は何をやったのか。マレー半島を進撃しシンガポールを攻略しながら、アジアを解放すると唱えつつ実際はアジアを侵略した。至るところで大虐殺を行い、残虐行為を繰り返し、今、歴史認識の隔たりを埋める事実を知る。 | |||||||
D0960 | 教えられなかった戦争 フィリピン編 侵略・「開発」・抵抗 | 110 | カラー | 一般 | 映像文化協会 | 1995 | |
大平洋戦争中は軍事侵略、戦後は日本製品による賠償で、日本資本にさらされてきたフィリピン。人々の証言から浮かび上がる悲惨な虐殺。広域にわたる森林伐採や単一作物の栽培が引き起す環境破壊。巨大港建設など日本のODA(政府開発援助)に家を追われる人々。民衆の抵抗運動をおりこみ「第二の侵略」について問いかける。 |
か行
請求番号 | 題名 | 上映時間 | 色別 | 対象 | 製作 | 製作年 | 備考 |
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解説 | |||||||
B0970 | 核戦争3分前! 横田基地は...いま | 22 | カラー | 一般 | プロダクション・同人社 | 1984 | |
新宿から僅か30km、首都・東京に存在する横田基地は米軍の極東における核戦争の司令基地として、その機能を強化している。1年間、基地と核をみつめて、核攻撃の新鋭機、核コンテナの搬入作業、弾薬庫等を記録する。 | |||||||
C1271 | 核・トマホーク 悪魔のミサイル | 23 | カラー | 一般 | 翼プロ | 1984 | |
核巡航ミサイル「トマホーク」の恐るべき実態を実写、アニメーション・模型など駆使してわかりやすく説明する。太平洋第7艦隊への「トマホーク」の配備がもたらすであろうアジア太平洋での核戦争の危機を訴える。 | |||||||
D0824 | 学校 勤評のころ(子どもたちの昭和史 〔第5部〕) | 43 | カラー | 一般 | 日本電波ニュース社 | 1987 | |
笛吹童子の歌がラジオから流れていた昭和28年ごろから、教育の国家管理が強まり・昭和30年にはついに勤務評定が実施された。これに反対する各地の先生たちの運動のありさま、そのころ生徒だった人たちの感じたことなどを、子どもたちの遊びと暮らしの様子と共に綴る。企画:東京都教職員組合 | |||||||
D0596 | がれきのにほんれっとう 主要都市編 | 64 | カラー | 中〜一般 | 「がれきのにほんれっとう」製作委員会 | 1982 | |
第二次大戦末期日本列島を焦土と化した空襲戦災の記録を、米国ワシントン公文書館に保存されていたカラーフィルムから選択し製作編集したもの。各地の主要都市に加えられた空爆のすさまじさと、生き証人たちの語るなまなましい証言が、戦争という巨大な悪を告発する。 | |||||||
D0699 | がれきのにほんれっとう ヒロシマ・ナガサキ編 | 62 | カラー | 中〜一般 | 「がれきのにほんれっとう」製作委員会 | 1983 | |
米国公文書館保存のカラーフィルムを編集。広島・長崎の被爆の様子をむき出しに見せつけ、冷酷なカメラ・アイに目をそむけたくなる場面も多い。背後に子どもの作文を流す。 | |||||||
T0680 | 基地周辺 | 14 | モノクロ | 一般 | 東京都映画協会 | 1972 | |
立川の自衛隊強行移駐、横田基地機能強化等、新たな東京の基地問題を現地から報告。 | |||||||
T0758 | 基地と市民 | 14 | カラー | 一般 | 東京都映画協会 | 1974 | |
横田基地周辺を取材。市民の願う平和と国家の考える平和について考える。 | |||||||
D0663 | 教室から消えた恩師たち(子どもたちの昭和史 第3部) | 40 | カラー | 一般 | 東京都教職員組合、日本電波ニュース社 | 1984 | |
1933年、長野2・4事件で、本当の教育を実践したがために幾人もの教師が教壇を追われた。県教育界は教員赤化事件の汚名をそそごうと、全国一を記録する満蒙開拓青少年義勇軍を送り出した。教師や教え子たちの回想と証言で綴る。 | |||||||
C0210 | 近代中国史(1) | 3巻 | モノクロ | 中、高、一般 | E.B映画 | ||
第1部:国家統一への追求。19世紀後半における帝国主義の性質を解明し、20世紀に統一中国を生みだした三要素である物質的な力、伝統、イデオロギーを解説する。 | |||||||
B0285 | 近代中国史(2) | 3巻 | モノクロ | 中、高、一般 | E.B映画 | ||
第2部:内戦と日本の侵略。1920年代末、中国に数年来はじめて、蒋介石が安定政権を樹立した。次第に国家主義の影響力が大きくなってきたので、日本は、満州、中国への軍事侵略を開始する。 | |||||||
C0211 | 近代中国史(3) | 3巻 | モノクロ | 中、高、一般 | E.B映画 | ||
第3部:共産党勢力の増大。中国の内乱は共産党の勝利に終り、1949年末までには中国本土の支配を完全に握った。中国共産主義の知的発達過程と歴史的背景を解説する。 | |||||||
C0570 | 激動の記録 第1巻 映像でみる戦後 | 25 | モノクロ | 中、高、一般 | 東映ビデオ | ||
広島の原爆、ミズリー号上の降服調印式、新円への切りかえ、2・1スト中止命令、銀座の闇市、三鷹事件等、昭和20〜22年を収録。 | |||||||
D1046 | 劫火 -ヒロシマからの旅- | 58 | カラー | 一般 | マルキ・フィルム・プロジェクツ | 1988 | |
「原爆の図」の制作で有名な丸木位里、丸木俊夫妻。夫妻へのインタヴューと非人間的行為を告発する画業を紹介し、夫妻の芸術と生き方を描く。原題:HELLFIRE 解説部分は日本語ナレーション、インタヴュー部分は日本語字幕入り | |||||||
A0248 | 国民の記録 | 10 | カラー | 一般 | (ソ連邦) | 1975 | |
75年、ファシズムに対する闘いの30周年を記念する式典(於:モスクワ)の模様を中心に、当時の参戦者たちの姿、対独戦の記録、無名戦士の墓などを紹介。 | |||||||
D1052 | 葫蘆島大遣返 -日本人難民105万引揚げの記録- | 96 | カラー | 一般 | 葫蘆島を記録する会 | 1998 | |
戦前、旧満州(現中国東北部)に渡った多くの邦人は日本の敗戦(1945)により難民と化した。1946年から約2年間で100万人以上になる遼寧省葫蘆島からの満州引き揚げについて、映像、現地調査、関係者の証言などをもとに記録 |
さ行
請求番号 | 題名 | 上映時間 | 色別 | 対象 | 製作 | 製作年 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
解説 | |||||||
D0531 | 叫びと囁き カンプチア難民からの報告 | 90 | カラー | 一般 | ニッポン・フィルム | 1980 | |
タイ・カンボジア国境には、現在、約120万人のカンプチア難民が居る。そのうち約80万人の人々が、自然発生的に作られた"難民村"で生活している。ここでは、ノンサメット・ノンチャン・ノンマクムーンの3つの村にスポットをあて、彼らの生活を通して自分の運命を自分の意志で切り拓くことのできない悲劇を描く。 | |||||||
D0633 | 十五年戦争と教師たち(子どもたちの昭和史 第2部) | 40 | モノクロ | 一般 | 東京都教職員組合、日本電波ニュース社 | 1984 | |
日本の軍国主義を支えるために学校教育が果たした役割は、きわめて大きなものであった。「満州国」建国から戦争の終結まで、当時の教育の姿をニュース映画や二人の教師の証言を通して見つめていく。〔第1部〕は歴史(210)に分類。 | |||||||
B0988 | 焦土からの復興(映像で見る昭和の歴史 第3集) | 20 | モノクロ | 中〜一般 | NHKサービスセンター | 1981 | |
昭和20年8月から26年まで。一面の焦土とヤミ市、浮浪児、青空教室の民衆のたくましい姿。、占領軍政策、朝鮮戦争勃発などの政治の流れ。 | |||||||
N0444 | 昭和20年3月10日 東京大空襲 | 5 | カラー | 一般 | 東京都映画協会 | 1993 | |
作家早乙女勝元さんは『東京大空襲を記録する会』を設立、大空襲直後の未公開写真をきっかけに過足作元さんと知り合う。過足さんは大空襲を描くことで、早乙女さんはその作品と、江戸東京博物館に大空襲の遺品の数々を展示する会の活動を通じて戦争の惨禍を訴え続ける。 | |||||||
D0134 | 世紀の爪跡 | 11巻 | モノクロ | 中、高、青、一般 | 中央映画 | ||
南京城の攻防戦、真珠湾攻撃、インパール作戦、ミッドウェー大海戦、不沈戦艦武蔵の最後、東京裁判の全容など、昭和初期から太平洋戦争終結までの日本の悲劇を描いた長編記録映画。 | |||||||
C1289 | 世界の科学者は予見する 核戦争後の地球 第1部 地球炎上 | 30 | カラー | 一般 | NHKサービスセンター | 1984 | |
米国政府発行の「核兵器の効果」、世界各国の科学者による研究成果をふまえ、バーナビー博士の指導で製作したTV特別番組の映画化。1メガトン核弾頭投下による東京壊滅、全面核戦争による北半球炎上の想定映像が写し出される。 | |||||||
C1290 | 世界の科学者は予見する 核戦争後の地球 第2部 地球凍結 | 30 | カラー | 一般 | NHKサービスセンター | 1984 | |
熱線、衝撃波、爆風、放射線が襲う「第1部・地球炎上」を受け、2部では、黒い雨の降下、放射線障害・死の灰の拡大・拡散、続いて、気象の劇的変化・核の冬(ニュークリア・ウィンター)の到来、そして、地球凍結を予測、映像化する。 | |||||||
D0520 | 世界の子らヘ 原爆・1980年・広島の人々は今 | 50 | カラー | 中〜一般 | ころすけ映画 | 1980 | |
原爆の悲惨さや怒りを前面に出したこれまでの原爆映画とは違った語り口で、平和の尊さを子どもたちの心にしみとおらせる作品。 | |||||||
D0697 | 世界の友ヘ 朝鮮人被爆者金在甲氏の記録 | 46 | カラー | 一般 | 盛善吉 | 1985 | |
強制連行で日本に来た金さんは筑豊炭鉱の坑内労動をへて軍隊に入り長崎で被爆。戦後の混乱期の後、今は五島列島の福江に落ちつき、父から伝わる東洋医学で病者の治療に専念し感謝をうけ幸せな家庭を営む。辛酸をなめた金さんの個人史から被爆と差別の歴史をたどる。ナレーター:鈴木光枝 | |||||||
D0618 | 世界の人へ 朝鮮人被爆者の記録 | 47 | カラー | 一般 | 朝鮮人被爆者の記録映画を作る会 | 1980 | |
祖国から強制連行され被爆した在日朝鮮人たちの証言による記録映画。日本の朝鮮への侵略と強制労働の歴史をふまえ、朝鮮人被爆者の深い怒りと悲しみの思いを伝える。 | |||||||
C0953 | 迫り来る核の脅威 | 27 | カラー | 一般 | 国連 | 1978 | |
核兵器競争は今日の世界が直面する最大の脅威である。核兵器競争の歴史と現状、これを阻止するための絶えざる国際的努力を追いながら、核兵器の恐ろしさを訴える。 | |||||||
D0819 | 戦場の女たち | 55 | カラー | 一般 | TENCHIJIN Productions(オーストラリア) | 1989 | |
太平洋戦争最南端の激戦地パプア・ニューギニア。若い日本人の女性監督が、ニューギニアの女性たちから、戦争中の話を聞く。犯され、食料を奪われ、日本兵の子供を生まなければならなかった女性たち。また、一緒に連れてこられた従軍慰安婦の女たち。現地の人々と、元日本兵、従軍看護婦双方の証言から、事実を浮きぼりにする。監督:関口典子 一部字幕スーパー | |||||||
D0733 | 戦争 子どもたちの遺言 | 53 | カラー | 小(高)〜一般 | 平和博物館を創る会 | 1984 | |
10フィート運動で集められたフィルムの未使用部分を編集し、広島の原爆資料館、ポーランドのアウシュビッツ博物館などの新撮フィルムと東京大空襲のアニメを組合わせ、過去の戦争、特に空襲による破壊と死をふりかえりながら、皆殺し戦争を告発し、今日の核狂乱時代を警告する。 | |||||||
B1229 | 総力戦という戦い 第一次世界大戦 | 21 | カラー | 高〜一般 | 学研 | 1995 | |
第一次世界大戦はそれ以前の戦争と異なり、世界的規模の戦いで、新兵器も登場し、長期にわたる消耗戦となった。国民総力戦という言葉も生まれた。各国の国民がどのように戦争に参加し、かかわっていったのかを探る。 |
た行
請求番号 | 題名 | 上映時間 | 色別 | 対象 | 製作 | 製作年 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
解説 | |||||||
D0602 多D0268 |
大東亜戦争(子どもたちの昭和史〔第1部〕) | 53 | モノクロ | 一般 | 東京都教職員組合、日本電波ニュース社 | 1983 | |
国民学校産業少戦士としての勤労動員、満蒙開拓青少年義勇軍など、「八紘一宇」、「大東亜共栄圏」、「一億総動員」のスローガンのもと、いやおうなく戦争に駆り立てられていった子供達の姿を、当時のニュース映画と回想の証言でつづった記録映画。〔第2部〕以降は教育史(372)に分類。 | |||||||
D0932 | 太平洋戦争と沖縄 終戦50年。終戦と平和を考える | 34 | カラー | 一般 | 東映 | 1995 | |
太平洋戦争末期、本土を守る為、捨て石とされた沖縄。県民4人に1人、15万人を越す戦没者と言われている。実写フィルムをはさみ、当時の兵や学徒看護師の生き残った人々がかつての戦地をおとずれ、その惨状の一端を証言する。 | |||||||
B0987 | 太平洋戦争の記録(映像で見る昭和の歴史第2集) | 20 | モノクロ | 中〜一般 | NHKサービスセンター | 1981 | |
昭和16年から20年までの戦争の推移。真珠湾奇襲、軍需工場風景、アッツ島玉砕、東京大空襲、沖縄戦、ポツダム会議、原爆、そして敗戦。 | |||||||
B0976 | 小さな証言者たち | 20 | カラー | 小〜一般 | ドリームライフコーポレーション | 1985 | |
1946年、ポーランド教育省は小学生に呼びかけ、ナチスの残虐と人びとの抵抗を記録した絵と作文を集めた。6,000点をこえる作品の中から250点の絵を歴史の流れにそって構成、最小限のモンタージュと作文の朗読でまとめた心にしみる鎮魂歌であり戦争告発の映画。 | |||||||
C1761 | 中国大陸侵略(太平洋戦争への道) | 30 | カラー | 中〜一般 | 東映 | 1997 | |
1910年に韓国を領土にした日本は、1932年、中国東北部を占領し満州国を樹立。広がる抗日闘争に、支配者日本は徹底破壊と虐殺で対し、泥沼化した日中戦争打開のため太平洋戦争に突入した。ニュースフィルムや撫順、南京の虐殺を生き残った人々の証言で、中国侵略の実態に光を当てる。 | |||||||
C1663 | 朝鮮半島 植民地支配の実態 | 28 | カラー | 一般 | 東映 | 1994 | |
日韓併合により朝鮮半島の本格的植民地支配に乗り出した日本は、朝鮮の人々の民族性を完全に否定する。太平洋戦争終結までの朝鮮人大虐殺や強制連行など、日本人が持つ差別や偏見の意識をさぐる。「日韓併合への道」の続編。 | |||||||
T0684 | 東京大空襲 | 14 | モノクロ | 一般 | 東京都映画協会 | 1972 | |
一夜にして、死者10万人。3.10東京大空襲に遭遇した都民が証言するあの日の地獄。 |
な行
請求番号 | 題名 | 上映時間 | 色別 | 対象 | 製作 | 製作年 | 備考 |
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解説 | |||||||
C1662 | 日韓併合への道 | 29 | カラー | 一般 | 東映 | 1994 | |
日本と韓国・北朝鮮との間には戦後半世紀たった今でも未解決の問題が数多く残されている。明治維新以後、日本がたどった富国強兵、殖産興業の近代化への道は、朝鮮の国家と民族を否定するものであり1910年、遂に日韓併合をむかえる。 | |||||||
C1760 | 日清・日露戦争 帝国主義への道 | 26 | カラー | 中〜一般 | 東映 | 1992 | |
後進資本主義国・日本は富国強兵の軍事大国化政策を強行し、アジアの競争国である清国・ロシアを破り、韓国を植民地にした。当時の新聞や写真等により、戦闘の模様、戦争の悲惨、さらに満州侵略へ向かう時代の雰囲気をたどる。 | |||||||
A0244 | 日本軍国主義 | 10 | カラー | 一般 | (ソ連邦) | 1975 | |
前半(5分)で、大戦中の日本軍とソ連の闘い、極東における解放使命を当時の記録フィルムで、後半では、ウクライナのコルホーズの現状、子どもの玩具に対する国家の援助の模様を紹介する。 | |||||||
C1165 B1320 |
にんげんをかえせ | 29 | カラー | 一般 | 子どもたちに世界に!被爆の記録を贈る会映画製作委員会 | 1982 | |
「10フィート」運動により買い戻された米軍の未公開カラー原爆フィルムを紹介し、全世界の人々に核兵器廃絶を訴えてゆく。学校教育用として製作された原爆記録映画第一作。監督:橘祐典 | |||||||
C1754 | 人間の住んでいる島 | 32 | カラー | 一般 | 「人間の住んでいる島」製作委員会 | 1996 | |
沖縄本島の北の沖合の島・伊江島。反戦地主・阿波根昌鴻(93歳)が、凄惨な沖縄戦と米軍の土地強制収容との闘いを伝える反戦平和資料館を設立して10年。「ヌチドゥタカラ」(命こそ宝)と、基地撤廃を願い闘う島人の心を語り、全国から訪れる人々を励まし続ける阿波根を描く記録映画。監督:橘祐典 | |||||||
B0551 | ノーモアヒロシマ | 20 | カラー | 高、一般 | 「ノーモアヒロシマ」製作普及委員会 | ||
平和な日々の中で、戦争の苦しみに今も耐えている人々がいる。ことに原爆被害者は敗戦後30年経た現在も言語に絶する苦しみと、死の恐怖におののきながら生きている。この映画は広島で原爆症に苦しむ人々の生の声を取材した。 |
は行
請求番号 | 題名 | 上映時間 | 色別 | 対象 | 製作 | 製作年 | 備考 |
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解説 | |||||||
D0668 | はじけ鳳仙花 わが筑豊わが朝鮮 | 48 | カラー | 一般 | 幻燈社 | 1984 | |
鳳仙花は朝鮮の花、ひそかに飛び散る抵抗の唄。炭鉱の地底には戦時中に強制連行された朝鮮人坑夫達の髑髏がるいるいと埋まっている。富山妙子の油絵とリトグラフ連作を映像に捉え、死者達の孤独と悲しみ、そして、恨みの声を聞く。 | |||||||
D1057 | ビキニの海は忘れない | 62 | カラー | 高〜一般 | 「ビキニの海は忘れない」映画製作実行委員会 | 1990 | |
高知県の幡多高校生ゼミナールの平和学習活動の記録。1954年のビキニ水爆実験で被災した漁船や乗組員の事実確認にはじまり、東京の第五福竜丸展示館へ、焼津へ、長崎へ、沖縄へと平和学習の旅を続ける姿を記録する | |||||||
C0384 | ヒロシマ原爆の記録 | 30 | パートカラー | 一般 | 日本映画新社 | ||
被爆25周年にあたる昭和45年8月、生々しい当時の模様を広く内外に伝え、平和を訴えつづけた広島の記録である。 | |||||||
D0567 多D0196 |
ヒロシマ・ナガサキ 核戦争のもたらすもの | 46 | カラー | 一般 | 岩波映画 | 1982 | |
この映画は、科学的な視点から被爆の実態を総合的に描こうと製作された記録映画であり、広島・長崎両市が初めて共同企画した被爆者と医師たちの証言による次代への警告の映画である。昭和57年度優秀映画・スライド選奨優秀映画作品賞受賞。企画:広島市、長崎市 | |||||||
B0875 | 広島-長崎 1945年8月 | 16 | モノクロ | 一般 | コロンビア大学マスコミセンター | ||
1967年11月、かつてアメリカ軍によって持ちさられ「幻の原爆フィルム」と呼ばれていたプリントがわが国に返還された。この映画はそのうち日本政府が公開をはばんでいる「人体への影響」の部分を中心に編集されたものである。 | |||||||
C1550 多C0759 |
ヒロシマ・母たちの祈り | 31 | カラー | 中〜一般 | 日本映画新社 | 1990 | |
1945年8月6日、広島に原子爆弾が投下され、十数万の犠牲者を出した。この映画は、当時撮影されたフィルムを数多く挿入しながら、被爆者の被害の実態と、今日の姿を描く。平和への祈りを、子供を失った母たちの視点から、杉村春子のナレーションが心にしみとおるように訴えかける。企画:広島市、広島平和文化センター | |||||||
D0449 | 忘却の海峡 | 80 | カラー | 一般 | 中日映画社 | 1977 | |
第二次世界大戦中、国家総動員法の名の下に朝鮮半島から強制連行されて三十数年、今も樺太に残された四万三千人の望郷の詩。 |
ま行
請求番号 | 題名 | 上映時間 | 色別 | 対象 | 製作 | 製作年 | 備考 |
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解説 | |||||||
C0791 | メコンに銃声が消える日 | 27 | カラー | 一般 | エヴァプレス | ||
1975年4月30日、サイゴンは解放された。ホー・チ・ミンがベトナム民主共和国の独立を宣言してから30年、日本、フランス、アメリカとたてつづけに受けてきた侵略と介入をはねのけたベトナムは、遂に南北統一への第一歩を踏み出した。 | |||||||
D0814 | もうひとつのヒロシマ アリランのうた | 58 | カラー | 一般 | 青山企画、アリランのうた制作委員会 | 1987 | |
企画した朴壽南女史が在日・在韓朝鮮人被爆者十数人にインタビュー。朝鮮半島から強制連行され、被爆してから今日までの辛い体験、在韓被爆者が、日本で十分な治療を受けたいと願っても、満足に受けられない現状を切々と訴える。 | |||||||
C1234 | もし、この地球を愛するなら | 26 | カラー | 一般 | カナダ政府 | 1982 | |
核時代といわれる今、なぜ、これほどまで核兵器が発達したのか。核爆発が起きたら、世界や人類の被害状況はどうなるのか。もし、この地球を愛し人類の未来を考えるなら、我々は何をなすべきか。核問題の本質を、医学博士ヘレン・カルデコット女史の講演と記録映像の構成で判り易く解明する。1982年米アカデミー賞受賞。 |
や行・ら行・わ行
請求番号 | 題名 | 上映時間 | 色別 | 対象 | 製作 | 製作年 | 備考 |
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解説 | |||||||
D0701 | 焼け跡に青空をみた(子どもたちの昭和史 第4部) | 39 | カラー | 一般 | 東京都教職員組合、日本電波ニュース社 | 1986 | |
敗戦直後の東京は一面の焼け野原。その中で教師も子どもも民主主義の理想にもえていた。教室での小学生の討論風景、ニュース映画、当時をふりかえる回顧談で戦後教育の出発をみる。 | |||||||
D0569 | 予言 | 41 | カラー | 一般 | 子どもたちに世界に!被爆の記録を贈る会映画製作委員会 | 1982 | |
35年もの間公開を禁止されていた原爆フィルムが、市民運動によって陽の目を見ることとなった。―このフィルムの中でカメラの前に立つ被爆者たちの眼は、激しく鋭く見る者の魂をえぐる。フィルムの奥から見つめるその眼は、全人類に先立って苦しみを受けた予言者の眼である―。10フィート運動による原爆記録映画第二作。監督:羽仁進 | |||||||
D0605 多D0223 |
歴史 核狂乱の時代 | 116 | カラー | 一般 | 子どもたちに世界に!被爆の記録を贈る会映画製作委員会 | 1983 | |
「にんげんをかえせ」〔C1165〕、「予言」〔D569〕に続く10フィート映画運動の最終作品。戦時下でひき起こされた数々の残虐な行為と、広島・長崎以後も執拗に繰り返される核実験や核軍拡の現状を、多くの未公開フィルムから明らかにし、被爆者の惨状と世界的な反核運動を紹介しつつ、核の時代を根底から問う。監督:羽仁進 | |||||||
D0938 | 渡り川 | 88 | カラー | 高〜一般 | 「渡り川」製作上映委員会 | 1994 | |
四万十川流域の津賀ダムは戦時中、多くの朝鮮人によって築かれた。「幡多ゼミ」の高校生たちは調べていくうちに強制連行された人達の事を知る。そして在日朝鮮人の高校生との交流も始める。韓国へも足をのばし、未来へ向けた友好への道をさぐる。"渡り川"は四万十川の別名。監督:森康行、金徳哲 ナレーター:井川比佐志 | |||||||
D0351 | われわれは監視する 核基地横須賀 | 38 | カラー | 一般 | 横須賀を映画で記録する会 | ||
米第七艦隊の母港であり、出撃基地である横須賀基地で今何がおこなわれているか。横須賀基地撤去のために、風雪をついて八ヶ月もの間監視を続けた記録映画である。 |