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人生を豊かにする読書 柳田邦男氏

東京都子ども読書推進フォーラム基調講演
人生を豊かにする読書
柳田邦男氏

プロフィール

柳田邦男氏は昭和11年生まれ、NHKに入社。昭和41年、全日空の飛行機事故の取材をして、それを『マッハの恐怖』という本にまとめ、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。その後、執筆活動に専念し、『ガン回廊の朝』で講談社ノンフィクション賞、『撃墜』でボーン・上田国際記者賞、『犠牲(サクリファイス)』で菊池寛賞など、さまざまな賞を受賞している。大変幅広いテーマで執筆。子どもの本に関しても、河合隼雄氏、松居直氏との共著『絵本の力』(岩波書店)がある。平成14年9月から、日本児童図書出版協会が発行している「子どもの本」に「絵本が開く世界」というエッセーを連載している。

1.はじめに

私のようなノンフィクション作家、ジャーナリズムの世界で仕事をしてきた者が、子どもの読書や絵本についてしきりに発言することを、違和感を持って受けとめられている方が少なくないと思います。
しかし、私の立場からいえば、これは万人共通の関心事であるし課題でもあるから、いろいろな立場の人が積極的に発言することが大事だと思いまして、児童文学の専門家の前では少し気恥ずかしいのですが、大胆にいろいろなことを発言しています。
たまたま最近手にした子どもの本に、小峰書店から出版された緑川聖司さんの『晴れた日は図書館へ行こう』という本がありました。面白いなと思ったのは、『晴れた日は図書館へ行こう』というタイトルです。私が子どものころはお天気がいいと、家で本なんか読んでいないで外へ行って遊べ、本なんか読んでいる子は悪い子と言われました。体を鍛えてお国のために立派な兵隊さんになれというような時代に育った我々の世代としては、晴れた日に図書館に行くというのはある意味で違和感があります。

今、なぜ子どもたちに図書館へ行こうと呼びかけなければいけないのか。図書館を舞台にたとえるなら、そこでは様々なドラマが演じられます。図書館に入ると、あらゆる分野の本が並べられていて、一つの世界を作っている。その世界の面白さ、そして一冊の本を取り出して読む楽しさ、本に出会うことによってその内容から受けるものの素晴らしさ、それはまさにドラマです。
子どもたちに図書館に行こうとか、自治体が旗を振って子どもの読書の推進をしようとか、国が法律まで作って読書推進をしようというのは、長い歴史の中では極めてアブノーマルな出来事だと思います。リベラルな方の中には、読書というのは強制するものではない、自発的、自主的にやるものである、放っておいたって面白いものは手に取ると言う人がいるのですが、この大きな時代の転換期の中で、そうばかりは言っていられないほど状況が変わってきたと思います。

今の時代の情報環境の中で子どもを放っておいたら大変なことになります。読書というもの、本あるいは絵本というものが、非常に新しい意味を持ってきています。それは歴史を見たり、社会の事件や影の部分を見たりして、時代の記録を執筆してきた者の眼から見ると、極めて深刻な問題ではないかと思っています。
あまり論に走るよりは、私自身の体験をお話ししながら、この半世紀ぐらいの大きな時代の変化、そして成育期における子どもを取り巻く環境の変化のもたらす意味を、身近なところで考えてみたいと思います。

2.心の習慣」の原点

私は、人が日常の中で何を好みとし、何に感動し興味を引かれるかを、「心の習慣」と呼びたいと思います。心が何に向かって動くのか、心が何を受け入れるか。そういう関心事や興味や感動は人それぞれ違います。自分の性格や好み、あるいは「心の習慣」がどういうふうに形成されたか、その原点を探るのはとてもおもしろいことです。例えば私はクラシック音楽が好きです。何の契機で好きになったのかを自分の過去を探索し、調査するような目で心の奥底にあるものをふり返ってみます。

私が小学生の頃、戦争中でしたが、竹針蓄音機を父親が買いました。当時としては珍しく、わずかばかりクラシックのレコードがあった。SPレコードでした。ザァーザァーとノイズが入るような音です。初めて自分の耳が惹かれた最初の曲は、ズッペの「軽騎兵序曲」でした。そこから入ってのめり込むうちに今度は、シューベルトの「未完成交響曲」というあの静かな曲に入っていった。そんな素地がありました。
私が生まれ育ったのは栃木県の人口3万足らずの小さな町で、鹿沼というところでした。小さな田舎町で文化的なものの少ない中で、3つ上の兄がクラシックが好きで、戦後間もない頃、月刊雑誌『フィルハーモニー』を読んで、いろいろなことを教えてくれました。また、ラジオでNHKの名曲鑑賞の時間やFENのクラシックの時間がありました。真空管が4つしかない古いラジオで、ザワザワとノイズが入り、それでも一生懸命チャンネルを探して聞きました。その兄が音楽之友社の『名曲解説全集』の1冊を長兄の営む古書店から借りていたのを見て、とても引き込まれました。ベートーベンの「運命」はこういうふうな曲の構成になっているのかと、主題などの楽譜を見ながらラジオで放送を聴きました。毎日学校が終わると、その全集を揃えている図書館に出かけては1曲ずつ主題の旋律などを書き写し、その曲がラジオで放送されるとノートにかじりつきで聴きました。長兄の小さな古書店で、作曲家の伝記や音楽関係の本を借り出しては読みました。そんなことが今でも日常、私がCDショップに寄って新しい演奏家の曲を選んで買ったり、日常仕事の合間あるいは仕事中でも音楽をかけ、そして生の演奏会に行ったりするという「心の習慣」の原点になったのです。

10歳ぐらいで以上のような文化的環境の中でどのように音楽や本にふれたかということが、私の一生の中でとても大きな意味を持っていたと思います。小学生から中学生ぐらいの時期は、「心の習慣」が形成される大事な時期であり、その中で幼少期、小学校に入る前の年齢、小学校の1、2年頃はまた別な意味で大事だと思います。

もうひとつの「心の習慣」として、私は空を見上げるのが好きです。今年夏、火星が6万年ぶりに大接近しました。月の横にランデブーしてびっくりするほど大きく輝いて見えました。出張先の地方で雲の切れ間から火星が見えたときに「おおーっ、火星が見えるぞ」と大きい声を出したら、仲間も「わぁーっ、見えた」「わぁーっ、大きい」と感動していました。小学校5年の時天文に興味を持ちました。子ども向けの天文雑誌を読んだり、空を毎晩のように見上げては星座を探して、あれがプレアデス星団、あれがすばる座と、一人で楽しんでいました。小学校6年頃には、天文学ガイドなどを見て、宇宙膨張説って面白いとかアインシュタインという偉い人がいるとか、興味を持ったのです。今でも「もうオリオンが立ち上がってきた。ああー、冬が近いな」とか、そんなことを思いながら生活をしています。

小学校5、6年のころは天文学者になりたかった。雑誌などで天体望遠鏡で撮った写真を見るのは、限りなく楽しいことでした。ところが中学生になると、気象台の測候技師になりたくなりました。兄の本屋から気象関係の本を借りて読んだり、自分の家の小さな庭に雨量計や風速計を置いたり、風通しのいい廊下に寒暖計を掛けて観測日記をずっとつけたりしました。その中でも楽しかったのは雲の観察でした。その「心の習慣」はいまだに続いています。もう20年近くいつもカメラを持ち、ただ「うぁーっ」と思いながら雲の写真を撮っています。飛行機に乗ってもいつもカメラを用意していて、美しい雲を見ると眠気も忘れていつも窓の外を飽かずに眺め、写真を撮っています。

3.「本好き」となった原点

私にとって「心の習慣」のもうひとつ、本が好きになり、よく本を読むようになった原点をずっとたどってみると、幼少期にさかのぼります。始まりはいつごろかを探索すると、小学校1年の時です。小学校1年の3学期に、腎盂炎になって3カ月近く休みました。その3カ月は私にとって非常に大きな意味を持ちました。近所に住んでいた女の子の家にたくさん読み物があり、順に貸してくれました。それは『小公子』『小公女』『三銃士』などの少年少女向けの世界名作全集でした。読むということ、活字を拾って物語に沿ってずっと引き込まれ感動したり、どきどきしたりはらはらしたりすることが、誰に教わるともなくできたのです。本が好きになり、物語の世界の醍醐味を知りました。

そして、4年、5年生ぐらいになるといろいろな少年向けの本を読むことにつながっていきました。兄が古書店を始めたのもそれを加速させる刺激になりました。
小学校4年で父が結核で亡くなり、家が経済的に困窮した中で母が手内職をし、小学生だった私も手内職を手伝ったり、夏休みには町工場へ働きに出ていました。わずかばかりの小遣いを持って、宇都宮に本を買いに行くのが楽しみでした。ここで買おうか、あの本を買おうかと迷い、最後に1冊に絞って買う。それだけにその本は大事にして5回も6回も読みました。繰り返して読むほどに物語の奥深いところへ入っていくことができました。
一番好きだったのは、『フランダースの犬』『家なき子』など往年の名作物語です。ちょうど父を亡くし貧しい時代だったので、共感を持って自分の感情を移入して読んだものでした。もちろん、こういう物語だけではなくてシャーロック・ホームズやルパンや怪人二十面相など、スリリングなものもたくさん読みました。変わっているのは、小学校5年の夏休みに10巻ぐらいの古い布表紙の『古典落語全集』を読み切ったことです。『芝浜の革財布』『じゅげむじゅげむ』などを読んでは笑いころげていました。ユーモアをそれで身につけたというか、そんな影響もあって小学生なのにラジオで落語や講談や浪花節を聞いていました。

やがて中学生になって、特にある部分を暗唱するまでになったのはヘルマン・ヘッセの『青春彷徨 ペーター・カーメンチント』です。ペーターという主人公がアルプスの山間に生まれ育ち、街へ出ていろいろな人生の喪失をし、悲嘆にくれてまた帰って来るという人生の物語です。ペーターの少年時代に雲を愛し、毎日雲と会話をしていた描写が延々と何ページにもわたって続きます。そこが好きで好きで何べん読んだか、暗唱するぐらい読みました。

4.なぜ、ノンフィクション作家に

戦時中、出版事情が国家権力によって統制され、あまり新しい西洋文学というのは入ってこなかったのですが、戦後どっと怒濤のように入ってきました。その大きな波をつくった新潮社の『世界文学全集』の出版が始まり、その最初がリルケの『マルテの手記』でした。次がロマン・ロランの『ジャン・クリストフ』で、それらをすぐ上の兄が買って読んでいました。私は高一ぐらいで、自分も読みたくなって借りて読んで、みすず書房の『ロマン・ロラン全集』を買うようになりました。姉の影響で、ジイドの小説『田園交響楽』『一粒の麦もし死なずば』、さらに新約聖書を興味を持って読んだり、だんだん外国文学に対する関心が強くなると同時に、友人の影響で川上肇の『貧乏物語』『自叙伝』など、次々に何でも読んでいました。それはとても大事なことだと思います。何かひとつのことだけにとらわれてしまわないで、いろいろなものに首を突っ込んでいくことが自分の心を耕す上ではとても大事だし、ある一本筋だけで世界を見てしまうということのないような柔らかい面を持つという意味では、とても大事なことである気がします。

そういう中で突然違う刺激が入って来ました。高校1年の昭和27年に『アサヒグラフ』が、占領期が過ぎて検閲が解かれると同時に、原爆被爆者の実態を初めてグラビアで伝える特集号を出しました。それを見てショックを受けたのです。私が将来どういう道を歩むかにとって大きな転機にもなったのですが、大学に入ってからも同じような経験をしました。土門拳は、歴史に残る戦後の記録写真あるいはリアリズムを主張した写真家です。『筑豊の子どもたち』という写真集が昭和35年のはじめにセンセーションを呼びました。大学を出た時です。炭住街の子どもたちの悲惨な状況が土門拳の写真集で伝えられたのです。この写真を見たときに本当にショックを受けました。

人間が生きている、死んでいく、そういう現場に行って、ものの見方、世界観を自分なりに作らないと、世の中の論争や思想やいろいろなものに足をすくわれて、自分を見失うおそれがある。その現場に行ってみるって何だろうと非常に悩んでいた時期だったので、こういう写真や高校時代に見た原爆被爆者特集号の『アサヒグラフ』の写真が重なって、あの国会の赤じゅうたんなどを踏んで、政治の動きを見ていても何も世の中は見えてこない。人間は見えてこない。本当に一人ひとりの生きざま、死にざま、事件の現場へ行ってみなければ真実は見えてこない。そういうことを考え、記者という職業を選んだのです。記者生活をやっていくうちに、だんだん記者という組織の仕事だけでは限界があって、自分で一人で納得のいく仕事をやっていきたいと、14年ほどNHKの記者をやってから38歳で辞めて、作家活動に入りました。

作家としていろいろと本を書いてきましたが、最初に書いた本は航空事故の真相を追った『マッハの恐怖』で34歳の時です。数年後に書いたのが、『空白の天気図』という私が自分の本の中で一番好きな作品です。広島の原爆被爆直後に日本の三大台風の1つといわれる枕崎台風が、広島地方を直撃し、2,000人ぐらいが広島地域で死んだ事件を発掘して、ドキュメンタリーに書いた本で、39歳の時です。次に、人間の命あるいは現代人の生命の危機、生と死が一貫して自分の問題意識になっていたので、『がん回廊の朝』を43歳の時に書きました。
このように事故災害、戦争、病気という人間の命の危機に取り組む時の自分の原点にあるものは何かといったら、『フランダースの犬』や『家なき子』を読んだ時の虐げられた人や貧しい人、阻害され孤独な人に対する目です。少年時代の読書というものが、原点にあったのではないかと思うのです。

5.絵本との再会

50代になって、私に大きな転機がやってきました。20歳になった次男の心の病気が表に出てきて、精神科に通わなければいけないような事態になりました。私自身も大変ショックを受け、我が身の内面や自分の子育てやら何やら、あらゆるものが突きつけられる形で問われたのですが、とうとう息子は25歳で自ら命を絶ってしまいました。
それは私にとっても最大の転機であると同時に、本当の出会いという意味でもまた新しいものをもたらしたのです。息子が亡くなって、2、3カ月して本屋さんに立ち寄った時、気がついてみたら児童書のコーナーに立っていました。そして平積みされている絵本を呆然と見ていたのです。おそらく自分の無意識の世界では、子どもを育てた頃、絵本を読み聞かせした頃のことが蘇ってきていたのだろうと思います。そして、宮澤賢治の『よだかの星』や『風の又三郎』といったものに出会って、何げなく買って読み出すと、今までとは違う読み方が生まれてきました。

この数年、絵本は人生に3度読むべきだ、今大人こそ絵本を読もうというキャンペーンをやっています。人生に3度とは何かというと、最初は自分が子どもで絵本を読んだり読み聞かせしてもらう時です。私自身の経験をいいますと、戦前戦中ですから今のように豊富な絵本はありませんでした。講談社の『桃太郎』『浦島太郎』『かちかち山』『花咲かじいさん』などの昔話絵本、これくらいしかありませんでした。『コドモノクニ』という昔話だけではない世界を提示していた雑誌もありましたが、私は少年時代にはふれていません。

本当の意味で絵本に出会ったのは、二人の男の子を育てた60年代の終わりから70年代にかけてです。怒濤のように絵本が創作され翻訳された時期で、非常に恵まれた環境の中で子どもを育てたと思います。『ちいさいおうち』『いたずらきかんしゃちゅうちゅう』『はたらきもののじょせつしゃけいてぃー』『しろいうさぎとくろいうさぎ』『もりのなか』『スーホの白い馬』など、いまだに読み継がれている傑作が次々に刊行されました。おさるのジョージやうさこちゃんシリーズもです。繰り返し繰り返し子どもに読まされましたが、うちの子は男の子だったからやっぱり『いたずらきかんしゃちゅうちゅう』や『おやすみなさいフランシス』など、何十回と読まされたものが何冊かあります。それが人生2度目でした。これは親にとっても新しい世界でしたし、刺激にとんだものでした。

そして3度目が50代後半になって、次男を失ってからいくつかの本に出会うのです。人生経験もいろいろし、自分自身の喪失感の中で絵本を手に取ったことによって、違うインプレッションが襲ってきました。賢治の『よだかの星』も、人間疎外と孤独という20世紀の文学のテーマそのものではないか。カフカが小説を書くよりもっと前に、賢治は『よだかの星』でカフカのテーマを既に書いている。そんなことまで思いました。また、3年前に亡くなりましたガブリエル・バンサンの一連の作品のいいようもない寂しさ、震えるような寂しさや孤独感も、20世紀文学につながるものではないかと感じます。

こういう読み方を子どもに強制するつもりはありませんし、してはいけないと思います。子どもは子どもなりの読み方をすればいいのです。ただ、大人が自分のために読むということを、私は人生の3度目の絵本というキーワードで言っているのです。自分が絵本を見てゆっくりと言葉や絵、そして物語の意味を深く深く感じていくということです。人生経験を積んだあとで読むと、まったく違う意味を読み取ることができるのです。

『フランダースの犬』を例にあげます。私はこの物語は忘れもしないくらい詳しく覚えていますが、ただその最後のネルロの言葉、「とうとう、見たんだ。神様、十分でございます」は子どもの頃の記憶になかった。ネルロが村で事件があれば自分のせいにされ、村人からも仕打ちを受け、ひどい人生をおくったそのかわいそうさ、疎外された少年の気の毒さ、そういうものばかりが記憶に残っていました。今度読み返してそれに気づきました。あっ、こんな言葉があった。いったい何だろう。いったい「十分でございます」というのは何だろう。15歳の少年がいったいどんな意味で言ったのだろう。そのことを考えました。

この「十分でございます」というのは、たとえ少年であっても自分の人生をまるごと受け入れ、そして死さえも受け入れる。それを可能にするものは何か。これだけはやっておきたいという最後の願いが満たされたときに出てくる言葉ではないかと。ネルロは絵描きになりたかった。ベルギーの大家ルーベンスのようになりたかった。しかし、できなかった。でも、最後にせめてルーベンスの絵を見たかった。大聖堂の大きなキリストのはりつけの絵を見たかった。深夜教会に入って倒れてしまうが、奇跡的に吹雪がやんで、ステンドグラスから差し込んだ月の光で壁画が浮かび上がった。これで思い残しがなくなったという、人生をまるごと受け入れる、喜びも悲しみもすべてこれが自分の人生だったといって受け入れる。そのことをこの小説の最後は語っているのではないかと。少年時代に読んだ時はそんなことを考えもしませんでした。しかし、今自分で息子の死や多くの人々の死別というものを体験し、書いてきた。そういう流れの中ではこの物語がまったく新しい意味で立ち上がってきました。これは少年少女読み物であると同時に、人生後半になって読んでも深いものを気づかせてくれる物語だと、そういう受けとめ方に変わりました。

いろいろな絵本との出会いの中で、今や座右の書にしているのが、講談社から出たドイツのアクセル・ハッケという人が文章を書き、ミヒャエル・ゾーヴァという人が絵を描いた『ちいさなちいさな王様』です。
私はゾーヴァのシュールな絵がとても好きです。この王様はとてもおもしろい。ある少年のところに突然現れるのですが、この王様が人間の世界って変だよと、それは生まれたときに小さくてファンタジーに満ち満ちていて、空想豊かに毎日を過ごしているのに、だんだん勉強したり職業に就いたりすると視野が狭くなって、ある仕事の枠の中だけで生きていて、そして老いて死んでいく。なんとつまらない。

ちいさなちいさな王様の国は違っていて、生まれた時一番体も大きくて、知能も職業的な知識もみんなあって、世の中の仕事をこなし、晩餐会にも出ることもできるし、何でも世の務めを果たしていく。しかし、年とともに体がだんだん小さくなり、頭の中も次第にからっぽになってきて、社会的義務も少なくなり、自分の好きな生活をすればよくなってくる。日がな一日公園の片隅に座って、雲を眺めながら自分の空想の世界、妖精が現れようと怪物が現れようと、自分の想像で遊んでいればいい。これは素晴らしい。最後にはもう豆粒ぐらいになり、やがて芥子粒ぐらいになって、ある日、あれ、どこへ行ったのだろうと消えていくという、そういう有終の美を飾るのだと。こういうのが本当の素晴らしい生き方ではないかとしきりに説くのです。私もそうありたいなと思って、雲の写真なんかを追いかけているのは間違っていない。ちいさな王様になれそうだと、勝手に思っているわけです。そういう意味で、絵本を今こそ大人が読むべきだというのは、私なりにとても大事な提言ではないかなと思っているのです。

6.現代の子どもの環境の厳しさと読書の意味

私が生まれ育った成育期の環境というものをみると、まず兄弟が多くて狭い家の中で川の字になって寝て、親から何も言われなくてもお互いに対等の人間関係や長幼序列、譲り合い、けんかをしてもある程度以上はやらないなど、いろいろなことを知らず知らず覚えた。また、近所の子どもといつもだんごになって遊んだ。馬跳び、相撲、陣取り合戦、砂場で取っ組み合いしてもある限界というのを知っていた。情報環境はどうだったかというと、テレビもなければ映画もほとんど見る機会もない、小遣いもないから機械的なおもちゃ、ゲームボーイとかいろんなおもちゃもない。要するに、素手で肉弾戦で遊ぶわけです。それが当時としては貧しいという言葉で考えられていたのですけれども、今にして思えばそれは豊かではなかったかと思うのです。いろんな意味で生活と自然環境とが密着していました。

それから私にとって非常に記憶に残るのは、小学校6年時の私の担任の先生は「君たちは今本を読まないと、将来ついに読まずに終わってしまうかもしれない。授業なんかやめて本を読む」と、2学期から3学期にかけて、午後は一切授業をやりませんでした。毎日毎日、机や椅子を全部教室の後ろに寄せて、自分の回りに子どもたちを座らせて世界の名作を片っ端から朗読しました。先生が本当に感情を込めて、涙流して読むと、普段暴れん坊のいたずらっ子までがしーんとなって耳かたむけて聞いていました。私のクラスメートたちにとっては忘れがたい思い出です。

今の子どもは、個室の中でテレビ、ビデオ、ゲームボーイなど機械的なバーチャル(仮想現実)な世界で過ごしている。塾通いとかで子どもが遊んでいない。路地裏で押しくらまんじゅうをやっている姿も馬跳びしている姿もない。子どもが親と一緒に何かをしているということも少ない。情報環境はテレビ、ビデオ、携帯、ゲームパソコンといったバーチャルなものが優先していて、本当の生身の接触がない。映像情報が圧倒的に優位を占めている。丁寧に物語を理解するあるいは自分で物語ることがない。昔はよく親とかおじいちゃん、おばあちゃんが作り話や法螺話や怖い話をよくやったものです。情報が洪水のように手に入る、パソコンでマウスをクリックしていればいくらでも情報が入ってくる。ゲーム脳的な、子どもの成育期にバーチャルなものが圧倒的な優位を占めていると、正常な人間関係が形成できにくくなる。他者の痛みというものを理解しない。最初から理解できない。自分以外の生きている人間、対等の人間、痛みや悲しみがある人間、家族がある人間、それがわからない。自己中心であり、自分が世界の中心であるという万能感を持ってしまう。

そういう時代に何が必要かというと、「子どもは放っておいたのでは育たない」ということです。放っておいたのでは本は読まない、豊かな感性も考える力も育たないということです。いろいろな民間のグループや団体、自治体が、子どもの読書をバックアップする活動はとても大事だし、特に幼児期における絵本の読み聞かせ活動はとても大事です。親がまずその大切さを理解し、その心を自分の中で育てて子どもと接し、子どもに読み聞かせをする。今、全国的に広範にお母さんたちやいろいろな民間のグループが絵本の読み聞かせ活動や紙芝居や創作絵本づくりなどのボランティア活動をしている。学校における朝の読書運動が広がっている。その時代的な意味はとても大きいと思います。それを自治体が積極的にバックアップするような教育行政が、必要だと思います。

そういうボランティア活動やNPO活動などが盛んになっていることに、大きな活路を見出します。自治体の中では、積極的に児童図書館や絵本館を造るところがあり、民間にもそういうものを私財で造っているところがあります。これはやはり日本人の生きる道を示すものであるし、今後に希望を持たせるものだと思います。そういうところを今後一層発展させていくうえで、東京の場合、自治体として、今日、明日とキャンペーン活動をやっていますが、こういう形だけでなくていろいろな形の取り組みが可能なので、様々なチャレンジを期待したいし、そこに希望をかけたいと思っています。子どもの成長期はやり直しがきかないのです。

*お二人の講演を都立多摩図書館がまとめたものです。


東京都子ども読書推進計画事業の一環として、都立図書館は、平成15年4月から都立図書館こどもページを開設しました。また、平成16年3月に、読書啓発パンフレット「子どもたちに物語の読み聞かせを」を作成しました。このパンフレットは、こどもページでもご覧になれます。

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