このデータベースは、本サイトで紹介する江戸・東京の資料を資料の種類とキーワードから検索閲覧することができます。
現在の中野区中野あたりに、八代将軍・吉宗の命によって桃の木を植樹した桃園と呼ばれた庭園がありました。もとは五代将軍・綱吉が「生類憐れみの令」を発した際に、犬のお救い小屋を建てた場所でした。
練馬区石神井町にある石神井神社のご神体は石剣(石神)です。村人が井戸を掘った際、石剣の形をした霊石が出土したため、石神として祀ったことで地名となったそうです。
長命寺は真言宗の寺院として慶長18年(1613)、増島重明(慶算)が創建したと言われています。境内に設けられた霊場は和歌山県にある高野山を模して作られてもので、そのため東高野山とも新高野とも呼ばれています。
江戸時代初期、将軍のお茶に使われていた名泉があったことからその名が付いたのがお茶の水です。
高輪は江戸湾を一望できる名所として、とくに「二十六夜待」の月見の名所として有名な場所でした。「二十六夜待」とは、陰暦の1月と7月の26日に、遅い月の出を待って拝む慣わしで、海岸や高台に人々が集まりました。
徳川将軍家の菩提寺として有名な増上寺の大梵鐘は、延宝元年(1673)、品川の御殿山で椎名伊予守によって鋳造されました。高さは約3m、重さは約15tという巨大な梵鐘は、四代将軍・家綱の命により作られた、江戸で初めての梵鐘といわれています。
港区芝大門にある芝大神宮は、「芝神明」という呼び名で古くから親しまれている神社です。9月に開催される祭礼は、開催期間が11日もあり、「だらだら祭り」と揶揄されるほどでした。祭礼中は境内のいたるところで名物の谷中生姜が売られたので、別名「生姜市」とも呼ばれました。
目黒不動とは泰叡山瀧泉寺という天台宗寺院の不動堂のことです。江戸時代以降、庶民の間で不動信仰が盛んになったことにより、目黒不動は江戸近郊における有数の参詣行楽地となり、門前町もにぎわいました。「江戸の三冨」のひとつとして、富くじの販売も行われていました。
行人坂(ぎょうにんざか)は目黒区下目黒にある急坂です。羽州(山形県)湯殿山の行者がこの場所に大日如来堂を建立したことからその名がつけられました。
目黒元富士は、文化9年(1812)に目黒の富士講の人々が目黒区上目黒に築いたという高さ12mほどの人工の富士山です。山頂には富士山と同じく浅間神社が祀られ、6月1日の山開きには大勢の人が富士詣に訪れました。