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将軍の住居であり、幕府の政庁でもある江戸城本丸御殿は、江戸時代を通して何度か火災により焼失、再建を繰り返しています。本図は明暦3年(1657)の大火により焼失し、万治2 年(1659)に再建された、本丸全体を描いた平面図とされています。
明暦の大火によって焼失した江戸城天守閣を再建すべく、正徳2年(1712)に計画された本丸天守閣正面図です。
本丸・西丸・二丸・紅葉山など吹上を除く江戸城内郭のほぼ全域を描いた図です。堀・土手・表御殿・大奥御殿を彩色で色分けしてあり、江戸城の様子を詳しく知ることができます。
大奥で行われていた猿若狂言の様子を描いています。猿若狂言とは初代中村勘三郎が得意とした狂言のことで、画面中央の女性が手に持っているのが道化役・猿若人形です。
奥務めの女性の出世を題材とした双六です。各マスには様々な奥仕えの身分や役職が描かれています。双六とはいえ、大奥における役職や役目について詳しく知ることのできる、たいへんおもしろい資料です。
本丸大奥を描いた絵図です。この資料には「寛永度絵図大奥」と題された付箋がつけられていますが、これまでの諸研究により、実際には明暦の大火により焼失した後に再建された万治度の江戸城大奥の図面とされています。
築地ホテル館は築地の外国人居留地に建てられた日本最初の洋風ホテルです。その姿は新しい時代を迎えた東京の新名所としてたちまち評判となり、多くの見物人が訪れ、絵師達は競って錦絵に描きました。
築地居留地一帯の様子を細かく描写した6枚続の錦絵です。居留地内にはホテルを始めとして、税関にあたる事務所や住宅、外国人目当ての日本人商店、さらには遊廓もあったことがわかります。
文明開化の象徴である鉄道と銀座を描いた上下2段の作品です。上段は新橋駅ホームを離れた横浜行きの蒸気車を、下段は料理屋の松田が見えることから銀座一丁目の町並みを描いていることがわかります。
八ツ山下とは高輪八ツ山のことで、現在の品川駅あたりを言いました。画面右手には、東海道に架けられた日本初の跨線橋・八ツ山橋のほか、洋服姿の外国人、普及し始めたばかりの人力車なども描かれ、当時の様子を知ることができます。