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元禄11年(1698)、信州高遠藩・内藤若狭守の下屋敷の跡地に設けられた内藤新宿は、甲州街道の最初の宿駅です。甲州街道は、多摩や秩父地域で採れる鉱物や農産物の運搬路で、牛馬の往来が盛んでした。
江戸市中に水を供給していた玉川上水沿いに植えられた桜を描いた作品で、現在の新宿御苑正門あたりを描いたものと考えられています。実際には、桜は幕府から撤去を申し付けられ、この絵のような景色となることはありませんでした。
現在の西早稲田3丁目付近です。馬場は寛永13年(1636)に造られ、旗本たちの馬術の練習場でした。
元和2年(1616)、甲州街道を通って江戸に出入りする通行人や荷物を取り締まるために四谷に設けられた関所が四谷大木戸です。寛政4年(1792)には木戸も番屋も撤去され、人馬が自由に往来できるようになりました。
淀橋は神田上水に架けられた最も古い橋と言われています。三代将軍・家光が鷹狩を行った際、周辺の景色が山城(京都)の淀という場所を思い出させるので地名を淀橋とするよう命じたといわれています。
妙法寺は杉並区堀ノ内にある日蓮宗の本山で、厄除けにご利益がある寺院として知られていました。
和田八幡宮とも称された大宮八幡宮は、康平6年(1063)に源頼義が前九年の役の帰途、源氏とゆかりの深い京都の石清水八幡宮から分霊してこの地に創建しました。
大宮八幡宮への参道には幹の曲がった松があります。源義家が奥州平定の際に、この松の枝に馬の鞍を掛けたところから「鞍掛けの松」と呼ばれるようになったという由緒が残っています。
「堀之内のお祖師様」として知られる妙法寺に安置されているのが、厄除けの御影と称される日蓮上人の霊像です。追善や祈願のために千部の経典を読誦する会「法華千部会(ほっけせんぶえ)」と、日蓮上人の命日法要の「会式(えしき)」が開催される7月と10月は、とくに大勢の参詣客で境内があふれかえったそうです。
東橋から牛田村までの隅田川流域の名所を記した絵図です。神社・仏閣のほか月見や花見の場所も紹介しています。