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木場とは材木置場(貯木場)のことです。江戸では徳川家康の入府以来、江戸城や大名屋敷、寺社仏閣や町家の造営のため材木の需要が高く、幕府は寛永18年(1641)に材木置場を永代島に集めました。ここが木場(後に元木場)と称され、地名の由来となっています。元禄14年(1701)、市街地の拡大と材木需要のさらなる増加に伴い、木場は少し東よりの深川に移転し、9万坪もの深川木場が誕生しました。
御殿山は桜の名所として有名でした。しかし幕末のペリー来航によって、幕府は御殿山から八ッ山にかけての一帯を削り取り、お台場を建設したため、あたりの景観は大きく変わりました。
南品川の洲崎は目黒川河口の砂洲にできた町です。幕府に魚介類を納める「御菜肴八ヶ浦(おさいさかなはちかうら)」のひとつでした。
月の岬の場所については諸説ありますが、この絵は品川宿の有名な妓楼の二階から品川の海を描いた景色といわれています。
深川の洲崎と並び潮干狩りの名所として有名なのが品川です。海辺の宿場町として繁栄した品川は、春は桜見物や潮干狩り、秋は紅葉などが一年をとおして楽しめる行楽地でもありました。
東海道品川宿は、中山道板橋宿、甲州街道内藤新宿、日光・奥州街道千住宿と並ぶ江戸四宿のひとつで、唯一海に面した宿場です。名所や魚介類の名物が多く、風光明媚な地として、四季折々に江戸市中から多くの人々が訪れていました。
千代田稲荷神社は長禄元年(1457)に太田道潅が千代田城(江戸城)を建築した際、城内に京都の伏見稲荷を勧請してきたことに始まるといわれています。その後、徳川家康が江戸城を拡張した慶長7年(1602)に、城内から渋谷宮益町に移されました。
金王八幡神社は寛治6年(1092)、渋谷城を築き、渋谷氏の祖となった河崎基家によって創建されたといわれています。
千駄ヶ谷観音堂は観光山聖輪寺と号した真言宗の寺院にありました。御本尊である如意輪観音像は、行基の作で「目玉の観音」と呼ばれていたそうです。江戸の寺院のなかでも千年以上の歴史のあるものは浅草寺と千駄谷観音堂だったといわれています。
渋谷宮益町よりに西へ下る坂を富士見坂と呼んでいました。ここから富士山が見えたことが名前の由来です。