このデータベースは、本サイトで紹介する江戸・東京の資料を資料の種類とキーワードから検索閲覧することができます。
安政の大地震後、よく描かれた「鯰絵(なまずえ)」の一つです。「鯰絵」は地震から身を守る護符として、あるいは不安を取り除くためのまじないとして庶民の間に急速に広まりました。
時の大老・井伊直弼を襲撃した水戸藩士の一人・岡部三十郎の姿を描いた錦絵です。安政7年(1860)3月3日に江戸城桜田門外で起こったこの襲撃事件は、後に「桜田門外の変」と呼ばれました。
元禄15年(1702)12月14日は赤穂浪士討ち入りの日です。この作品は、今なお人気の高い赤穂事件(あこうじけん)をもとに作られた『仮名手本忠臣蔵』(かなでほんちゅうしんぐら)の中心人物たちを描いた作品です。
日本橋にあった魚河岸において、正月2日に行われる初売りの様子を描いた作品です。普段から魚河岸には多種多様の魚が並べられ、多くの人々で賑わっていましたが、初売りの時は、江戸橋まで店が軒を連ねていました。
同じく正月2日の町の風景を描いた作品です。ひっそりとした元日と違い、通りには子供たちが出歩き、画面左に見えるように家々には万歳や獅子舞など門付芸人がやってきます。
江戸の風物詩・初午祭を楽しむ母子の姿を描いた作品です。絵にある詞書によると、子供が手に持っている馬の絵馬額を奉納すると、願いが叶うそうです。
内裏雛(だいりびな)の前で雛人形の冠を手に持つ女性、コマ絵(枠内の絵)には十軒店の風景を描いています。十軒店には三月の桃の節句には、内裏雛や禿人形(かむろにんぎょう)、五月の端午の節句には、甲人形(かぶとにんぎょう)や鯉のぼりを売る店が立ち並んでいました。
江戸時代の桜の名所・御殿山(現・品川区北品川あたり)の風景を描いた作品です。御殿山は寛文(1661~1673)の頃から桜が移植されたと伝えられます。
現在、5月に行われている浅草神社の祭礼・三社祭(浅草祭)ですが、江戸時代は3月17日、18日の両日に行われ、丑・卯・巳・未・酉・亥年の1年おきに本祭が行われました。
「女房を質に入れても初鰹」と川柳にも謳われるほど、江戸っ子がこよなく愛した初鰹と江戸の町の象徴・日本橋が組み合わさった、まさに「江戸自慢」を描いた作品です。