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「あをものうり(青物売り)」や「せとものうり(瀬戸物売り)」「まんぢう屋(饅頭屋)」などの物売りの姿を描いた絵の一部が文字になっています。文字を組み合わせて絵を描き遊びました。文字絵としてのおもしろさはもちろんですが、収載されている32枚の文字絵から、当時の物売りや職人の風俗も知ることができます。
「智恵の板」とは正方形の板を7つに切り、その7片を並べかえて、色々な物の形を作って遊ぶパズル形式の玩具です。
現在、足立区千住橋戸町と荒川区南千住を繋ぐ千住大橋が隅田川に架けられたのは文禄3年(1594)のことです。現在の場所とは少し違っていますが、寛文元年(1661)に両国橋が完成するまでは、隅田川に架けられた唯一の橋でした。
足立区千住仲町にある氷川神社の境内に鎮座しているのが関屋天満宮です。和歌にも詠まれるほど風光明媚な名所でした。付近の葦は片葉であったので、「片葉の天神」とも呼ばれました。
荒川の下流で、隅田川や浅草川よりも上流あたりを千住川と呼んでいました。千住は川越と江戸を結んだ舟運の発着中継地であり、このあたりは高瀬舟の往来で賑わいました。
西新井大師堂は、平安時代に弘法大師・空海によって建立されたとされる真言宗の寺院です。毎月21日にはご本尊である弘法大師像が開帳され、厄災によく効くということで古くから多くの参拝客を集めていました。
千住宿からちょっと離れた場所にあった耆老茶屋(じじがちゃや)と呼ばれる茶屋を描いたものです。この茶屋には光り輝く名物の茶釜があったそうです。
「六阿弥陀廻」とは、春と秋のお彼岸の期間に、熊野から流れついた霊木で造られたという6体の阿弥陀像を祀った6ヶ所の寺院を巡り極楽浄土を願うことで、江戸の人々の行楽の一つでした。
江戸の虫聞きの名所と言えば道灌山です。7月末頃の虫聞きのシーズンになると、松虫やキリギリス、鈴虫など虫の声を夜通しで楽しむために多くの人々が集まりました。
もとは「新堀」や「入堀」と書かれていたこの地域が「日暮里」と書かれ、「ひぐらしの里」と呼ばれるようになったのは江戸時代中期頃のことといわれています。花見や虫聞きを楽しむことのできる江戸名所として、錦絵や名所案内に数多く取り上げられています。