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多宝山成願寺は、中野区本町にある曹洞宗の寺院で、中野長者と呼ばれた鈴木九郎の寺として知られています。開基である九郎は紀州出身の成功した商人で、その邸宅を寺院にしたのがはじまりといわれています。
中野の塔は寛永年間(1624~1643)に飯塚惣兵衛が寄進した三重の塔で、上野の寛永寺にあった五重の塔と並び称される江戸名所の一つでした。
宝仙寺は平安時代(寛治年間1087~1094)、源義家によって阿佐ヶ谷の地に創建されたと伝えられています。
現在の中野区中野あたりに、八代将軍・吉宗の命によって桃の木を植樹した桃園と呼ばれた庭園がありました。もとは五代将軍・綱吉が「生類憐れみの令」を発した際に、犬のお救い小屋を建てた場所でした。
三宝寺は応永元年(1394)に鎌倉にある大徳寺の幸尊法印によって開かれた真言宗の寺院です。
練馬区石神井町にある石神井神社のご神体は石剣(石神)です。村人が井戸を掘った際、石剣の形をした霊石が出土したため、石神として祀ったことで地名となったそうです。
長命寺は真言宗の寺院として慶長18年(1613)、増島重明(慶算)が創建したと言われています。境内に設けられた霊場は和歌山県にある高野山を模して作られてもので、そのため東高野山とも新高野とも呼ばれています。
湯島天神は、学問の神様として知られる菅原道真を祀る神社です。また、谷中の感応寺、目黒不動とともに、幕府公認の富くじ(現代の宝くじのようなもの)を売る「江戸の三冨」として、庶民の人気を集めました。
関口は江戸の人々に大切な水を供給する神田上水の「大洗堰(おおあらいのせき)」と呼ばれた取水口があった場所です。
江戸時代初期、将軍のお茶に使われていた名泉があったことからその名が付いたのがお茶の水です。