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現在の中野区中野あたりに、八代将軍・吉宗の命によって桃の木を植樹した桃園と呼ばれた庭園がありました。もとは五代将軍・綱吉が「生類憐れみの令」を発した際に、犬のお救い小屋を建てた場所でした。
三宝寺は応永元年(1394)に鎌倉にある大徳寺の幸尊法印によって開かれた真言宗の寺院です。
練馬区石神井町にある石神井神社のご神体は石剣(石神)です。村人が井戸を掘った際、石剣の形をした霊石が出土したため、石神として祀ったことで地名となったそうです。
長命寺は真言宗の寺院として慶長18年(1613)、増島重明(慶算)が創建したと言われています。境内に設けられた霊場は和歌山県にある高野山を模して作られてもので、そのため東高野山とも新高野とも呼ばれています。
湯島天神は、学問の神様として知られる菅原道真を祀る神社です。また、谷中の感応寺、目黒不動とともに、幕府公認の富くじ(現代の宝くじのようなもの)を売る「江戸の三冨」として、庶民の人気を集めました。
関口は江戸の人々に大切な水を供給する神田上水の「大洗堰(おおあらいのせき)」と呼ばれた取水口があった場所です。
江戸時代初期、将軍のお茶に使われていた名泉があったことからその名が付いたのがお茶の水です。
宝永2年(1705)、五代将軍・綱吉は兄・綱重の子ども・綱豊(後の六代将軍・家宣)を養子にした際、千駄木にあった根津神社を綱重の江戸根津屋敷跡に献納し大造営を行いました。これが現在の根津権現です。
井の頭池を水源とした神田上水の水を江戸の町に行き渡らせるための重要な設備が、この大洗堰です。井の頭池や善福寺池などから引かれた水が、この堰で2つに分かれます。上水として必要な分は水戸徳川家の御屋敷に送り、その後地下を通って江戸中に配水され、余った水はここで江戸川に落とされたのです。この設備が設けられたのは三代将軍・家光の時代でした。
現在、豊島区高田にある目白不動堂は、もとは関口駒井町(現・文京区関口)にありました。境内の眺望、とくに雪景色が見事であったことで江戸名所となりました。