このデータベースは、本サイトで紹介する江戸・東京の資料を資料の種類とキーワードから検索閲覧することができます。
目黒不動とは泰叡山瀧泉寺という天台宗寺院の不動堂のことです。江戸時代以降、庶民の間で不動信仰が盛んになったことにより、目黒不動は江戸近郊における有数の参詣行楽地となり、門前町もにぎわいました。「江戸の三冨」のひとつとして、富くじの販売も行われていました。
行人坂(ぎょうにんざか)は目黒区下目黒にある急坂です。羽州(山形県)湯殿山の行者がこの場所に大日如来堂を建立したことからその名がつけられました。
目黒元富士は、文化9年(1812)に目黒の富士講の人々が目黒区上目黒に築いたという高さ12mほどの人工の富士山です。山頂には富士山と同じく浅間神社が祀られ、6月1日の山開きには大勢の人が富士詣に訪れました。
「爺々が茶屋」とは、三代将軍・家光が鷹狩を行った際に立ち寄った茶屋の名称です。 現在の目黒区中目黒から三田あたりに茶屋坂という名称の坂が残っており、ここに「爺々茶屋」があったようです。この茶屋の西には豊かな田園が広がり、富士山を望むことができたことから名所となりました。
目黒区目黒1丁目にある東京都教育研究所の前庭にあたります。千代が池の名は、南北朝時代、新田義興の侍女・千代がこの池に身を投げたという伝説に由来しています。
目黒川に架けられた太鼓橋は、江戸八丁堀の商人達が私財を出し合い、宝暦14年(1764)から6年の歳月をかけて完成させた石造りの橋です。その形が円形であったため、また太鼓の形に似ていたため太鼓橋といわれたそうです。
目黒不動を訪れた参詣客の土産物として有名なのが目黒飴です。門前には左右に商店が並び、粟餅や飴、餅花を売っていました。
威光寺は稲城市矢野口にある真言宗の寺院で、同じく稲城市坂浜にある高勝寺の末寺です。本尊は大日如来の坐像でした。
穴澤神社は少彦名大神(すくなひこなのおおかみ)を主祭神とした神社で、元禄7年(1694)に社殿を改修した際、菅原道真を合祀し、穴澤天神社となったとされています。
御嶽山は中世以降、山岳信仰の霊場として多くの参詣客を集めました。山頂には天平8年(736)に行基がこの地にお堂を建て、蔵王権現を祀ったことに由来する武蔵御岳神社が鎮座しています。