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湯島天神は、学問の神様として知られる菅原道真を祀る神社です。また、谷中の感応寺、目黒不動とともに、幕府公認の富くじ(現代の宝くじのようなもの)を売る「江戸の三冨」として、庶民の人気を集めました。
関口は江戸の人々に大切な水を供給する神田上水の「大洗堰(おおあらいのせき)」と呼ばれた取水口があった場所です。
宝永2年(1705)、五代将軍・綱吉は兄・綱重の子ども・綱豊(後の六代将軍・家宣)を養子にした際、千駄木にあった根津神社を綱重の江戸根津屋敷跡に献納し大造営を行いました。これが現在の根津権現です。
井の頭池を水源とした神田上水の水を江戸の町に行き渡らせるための重要な設備が、この大洗堰です。井の頭池や善福寺池などから引かれた水が、この堰で2つに分かれます。上水として必要な分は水戸徳川家の御屋敷に送り、その後地下を通って江戸中に配水され、余った水はここで江戸川に落とされたのです。この設備が設けられたのは三代将軍・家光の時代でした。
現在、豊島区高田にある目白不動堂は、もとは関口駒井町(現・文京区関口)にありました。境内の眺望、とくに雪景色が見事であったことで江戸名所となりました。
古川は上流では渋谷川、下流では赤羽川、新堀川、金杉川と名前を変え江戸湾に注ぐ川です。古川には麻布十番の船着き場より、順に一之橋から四之橋という橋が架けられました。
紀の国坂は徳川御三家の一つ紀州家の中屋敷があったことからその名がつけられました。また、赤坂の由来は、染料に使われる茜草が茂る赤根山の坂であったためとも、赤土が多かったためともいわれています。
関東における浄土宗の総本山として、また徳川将軍家菩提寺として江戸時代に隆盛を誇ったのが増上寺です。二代秀忠、六代家宣、七代家継、九代家重、十二代家慶、十四代家茂の6人の将軍が埋葬されています。
泉岳寺は徳川家康によって創建されました。寛永18年(1641)の大火によって焼失し、高輪の地に移ってきましたが、この移転に尽力したのが毛利・浅野・朽木・丹羽・水谷の5大名です。
「爺々が茶屋」とは、三代将軍・家光が鷹狩を行った際に立ち寄った茶屋の名称です。 現在の目黒区中目黒から三田あたりに茶屋坂という名称の坂が残っており、ここに「爺々茶屋」があったようです。この茶屋の西には豊かな田園が広がり、富士山を望むことができたことから名所となりました。