このデータベースは、本サイトで紹介する江戸・東京の資料を資料の種類とキーワードから検索閲覧することができます。
本丸大広間の平面図です。上段、中段、下段、二之間、三之間、四之間などから成り、縁側まで含めると500畳以上もありました。江戸城の中で一番格式が高い御殿でした。
将軍宣下(しょうぐんせんげ)は徳川宗家(そうけ)の当主が征夷大将軍に任命される儀式で、江戸幕府の礼典(れいてん)の中でも最も重要なものでした。
将軍は、黒書院で装束を整え、白書院で御三家や上位の大名の挨拶を受けた後、大広間で勅使(ちょくし)・院使(いんし)によって届けられた宣旨(せんじ)を披見・拝礼しました。
松之廊下(大廊下)の建地割(たてじわり)の図面です。右側に大広間と白書院の間の中庭側からみた立面図、左側に廊下を東西に切断した断面図が描かれています。
松之廊下(まつのろうか)(大廊下)とは、大広間から白書院をつなぐL字型の長い廊下です。全長50m以上もあり、片側は広い中庭、もう片側は浜辺の松原と群れ飛ぶ千鳥が描かれた襖(ふすま)と張付壁(はりつけかべ)でした。
時は元禄14年(1701)3月14日。松之廊下において赤穂(あこう)藩主浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が高家(こうけ)の吉良上野介(きらこうずけのすけ)に斬りかかりました。
白書院の平面図です。白書院は、上段・下段・帝鑑之間(ていかんのま)・連歌之間(れんがのま)・納戸構(なんどがまえ)の5つの部屋で構成され、入側(いりがわ)を含めると広さは300畳近くありました。
蹴鞠(けまり)は、「鞠足(まりあし)」と呼ばれる8名の競技者が、革製の鞠を地面に落とさないように蹴り上げ、その回数や動作の優美さを競う遊びです。
黒書院の内部平面図です。建坪は101坪5合(約330㎡)と書かれています。図には天井、壁、欄間(らんま)、建具の仕様などが詳細に記されていますが、大広間や白書院に比べ、意匠は落ち着いた雰囲気になっています。
江戸幕府では鏡開きを「具足祝(ぐそくいわい)」と称していました。