このデータベースは、本サイトで紹介する江戸・東京の資料を資料の種類とキーワードから検索閲覧することができます。
伊豆七島では古来よりカメの捕獲を行っており、アオウミガメを潜水で捕獲するという独特の技術も持っていました。アオウミガメの別称が正覚坊(しょうがくぼう)です。
玩具研究家として知られる清水晴風(しみずせいふう)が江戸から明治時代の行商人の姿を描いたもので、約180の職人姿が描かれています。
江戸の有名料亭を描いた30枚揃の内の1枚です。白山傾城ヶ窪は又鶏声ヶ窪とも書き、日本橋から巣鴨を経て板橋宿に至る中山道沿いにあり、近くには白山大権現がありました。
開業後の鉄道蒸気車と海上に浮かぶ各国の蒸気船が見え、横浜らしい文明開化の情景が描かれています。画面右側の蒸気車の車両には「中等」という文字が書かれており、車両に等級があったことがわかります。
銀座の朝野新聞社を描いた錦絵です。朝野新聞は明治7年(1874)に前身の『公文通誌(こうぶんつうし)』を改題して発行された東京の日刊紙です。
浅草蔵前にあった絵草紙店「森本(もりもと)」(円泰堂(えんたいどう)森本順三郎(もりもとじゅんざぶろう))の店先です。絵草紙店では、浮世絵や絵入り本などの娯楽的な作品が出版・販売されていました。
「五衣色染分」は、「青」「赤」「黄」「白」「黒」の5色に、それぞれ美人を当てはめて描いたものです。「黄」には、浄瑠璃・歌舞伎の演目「恋娘昔八丈(こいむすめむかしはちじょう)」のお駒が描かれています。
この錦絵は、歌舞伎「菅原伝授手習鑑」の「車引(くるまびき)」の名場面です。平安時代に、策略により菅原道真(すがわらみちざね)が太宰府へ流罪(るざい)にされた史実を歌舞伎とし、ここでは、敵味方に分かれた3兄弟の心の葛藤を鮮やかに切り取っています。
「疱瘡絵」といわれる疱瘡除けの絵です。疱瘡絵は、疱瘡にかかった子供へのお見舞いに贈られ、回復後は焼き捨てたり川に流したりしました。
江戸時代、麻疹の流行時に江戸で数多く刊行された「はしか絵」と呼ばれる錦絵です。麻疹の禁忌や薬、麻疹を軽くするまじないなど、さまざまな情報が盛り込まれました。この絵は、麻疹神退治を擬人化したもので、被害にあった職業の人々が麻疹神を懲らしめています。