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湾内の海の色が藍色を流したかのような青さを湛えていることから藍ヶ江湊と名づけられたこの場所は、島内でも風光明媚な場所として知られています。八丈島の中では水が豊かな村であったため、水田も多く、米の収量が多い地域でもありました。
八丈島の西に浮かぶ小さな島は八丈小島です。江戸時代は鳥打、宇津木という2村が置かれていました。この島は昭和22年(1947)、鳥打村および宇津木村が置かれるまで江戸時代の名主制が存続したという非常に珍しい歴史を持っていました。
本図は八丈島で捕れた赤魚、とこぶし、シマダイなどの魚介類を描いたものです。
「義経千本桜」「仮名手本忠臣蔵」とともに数ある歌舞伎狂言のなかでも人気の高い演目「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)」の「車引き」という場面を描いた作品です。芝居を楽しむ観客の生き生きした姿を見ることができます。
武蔵国22郡の地図です。河川・沼池・海は青で、山岳地は緑で彩色してあり、府内は濃い色で彩色し、郊外と色分けしています。また余白には武蔵国の地名考、沿革、寺社一覧、名所一覧も記してあります。
蔦屋耕書堂という絵草紙屋の店先を描いた絵です。店の入り口には蔦屋重三郎の名前入りの看板が立ち、山東京伝の著作や狂歌本の宣伝が並び、店の奥には錦絵が置かれ、旅支度の武士が選んでいる姿が描かれています。
江戸時代、大森にはめまいや風邪などに効能があるとされる「和中散」という粉薬を売っている店が東海道沿いに3軒、軒を連ねていました。近江国に本家がありましたが、大森の和中散は「世に大森和中散と呼ぶ、頗(すこぶる)著名なり」と、特に有名でした。
渋谷川の上流でせき止められた水が水車小屋を廻って水車をまわしています。広尾の水車は別名「玉川水車」ともいい、渋谷地区では最も古く、また、規模は一番大きかったといわれています。
江戸四宿のひとつとしてにぎわい、重要であった内藤新宿ですが、当初、甲州道中の最初の宿場は高井戸でした。しかし、日本橋からの距離が遠くて人馬ともに疲労する、との理由により、元禄の頃に新たな宿場として内藤新宿が設けられたのです。
太田道灌の故事で有名な山吹の里の所在地については昔から諸説あるようです。『江戸名所図会』では、それらを踏まえた上で、土地の言い伝えにまかせて、山吹の里は高田馬場の北の方にあったとする、としています。