このデータベースは、本サイトで紹介する江戸・東京の資料を資料の種類とキーワードから検索閲覧することができます。
泉龍寺は奈良の東大寺を開山した良弁(ろうべん)が天平神護元年(765)、この地において雨乞いをした際に創建した寺院がそのはじまりと伝えられています。戦国時代に衰退しますが、江戸時代になると徳川家康に仕え、入間村(調布市)と和泉村(狛江市)の地頭を務めた石谷清定によって再興されました。
多摩川は山梨県甲府市笠取山を水源とし、上流を丹波川(たばがわ)、中流を多摩川、下流を六郷川と言いました。
良弁(ろうべん)が雨乞いを行った際に清泉が湧き出たといわれています。その清泉が境内に残る霊泉で、和泉という地名の由来にもなっています。
小野神社は安寧天皇の時代(紀元前549~紀元前510)に創建されたと伝えられています。
府中六所宮とは大國魂神社のことです。大國魂神社は景行天皇41年(111)、武蔵国の守り神として大國魂神(おおくにたまのかみ)を祀ったのがそのはじまりとされています。平安時代になると各諸神を合祀する「総社」と呼ばれるものが置かれ、武蔵国では大國魂神社がその総社となりました。さらに、平安時代末期には著名な六か所の神社を合祀して「武蔵六所宮」と呼ばれるようになりました。
府中本町と関戸(現・多摩市諏訪町あたり)を結ぶ道を陣街道と呼んでいました。奥州から鎌倉へ向かう軍勢が陣立して往来したことに由来し、鎌倉と北関東を結ぶ重要道路で「鎌倉道」とも称されていました。
府中本町にある妙光院と安養寺はともに貞観元年(859)に創建された寺院です。
六所宮すなわち大國魂神社例大祭は4月30日より5月6日までの間に行われます。5月3日夜行われる競馬式(こまくらべ)は古くは国司によって行われていました。
六所宮(大國魂神社)の御供田では、毎年5月6日に御田植の神事が行われていました。
武蔵野には将軍家や御三家のための鷹場があり、御三家の鷹場が交わった場所が三鷹の地名の由来と言われています。その鷹場にあった「七井の池」と言われる名泉のなかでもとくにこの水がよいとのことで名づけられたのが「井の頭池」です。