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文明開化の諸相を描いた錦絵は、写真が一般に普及するまでの明治の世相を今に伝えるこの上ない資料と言えます。この銀座通りの煉瓦街を描いた錦絵も新しい時代の雰囲気をよく伝えています。
本図は『東京銀座要路煉瓦石造真図』から約10年後の銀座の町並を描いたものです。空家の多かった煉瓦街も、この絵の描かれた頃には商店や会社が軒を連ねるようになり、その後東京随一の繁華街に成長していきました。
本図は現存する最古の江戸図を写した絵図と言われています。測量によったものではなく、素朴なスケッチ風の図ではありますが、信頼できる最初の江戸図とされています。江戸図の歴史のうえでもたいへん貴重なものです。
町々の火見櫓(ひのみやぐら)や市中の賑わいを、江戸城東の方向から見おろした図です。川筋や海岸線も含めて江戸の町並みがどのようなものであったのかを知ることができます。
江戸時代初期の江戸の町の様子を知ることのできる絵図です。通常、江戸図は西を上にしていますが、この図は、上が浅草、下が芝、右が海、左が青山とあるように、縦長で、北を上にしている点に特徴があります。
『江戸雀』は江戸で刊行された初めての江戸地誌です。実用的な江戸の名所案内として作られており、巻末にはおよそ東西南北三里四方の大概を記すとあり、大名屋敷・社寺・町・橋の総数などが付されています。京都・大坂(難波)の町案内書と合わせて「三雀」と呼ばれていました。
明暦3年(1657)1月、本妙寺(現・文京区本郷あたり)より出火した火災、いわゆる明暦の大火の様子を記録した仮名草子です。絵入りで、火事の様子などが詳しく描かれています。
江戸近郊を遊覧する人々のために刊行された案内図です。東は現在の千葉県の小金や船橋あたりまで、南は羽田や神奈川県川崎市・横浜市青木町のあたり、西は府中、北は埼玉県の大宮や岩槻あたりまで載っています。
ペリー来航に対する御固(おかため)(警固)を風刺した絵です。武具をフグの形に仕立てて、「武具」と「フグ」とを掛ける趣向を凝らした図柄で、兜の下の石垣は御台場を表現しています。
安政2年(1855)10月2日の夜10時頃に江戸を襲った大地震を描いた瓦版(「読売」ともいう)です。この地震により、死者は7000人を超えたと言われています。