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千代田稲荷神社は長禄元年(1457)に太田道潅が千代田城(江戸城)を建築した際、城内に京都の伏見稲荷を勧請してきたことに始まるといわれています。その後、徳川家康が江戸城を拡張した慶長7年(1602)に、城内から渋谷宮益町に移されました。
金王八幡神社は寛治6年(1092)、渋谷城を築き、渋谷氏の祖となった河崎基家によって創建されたといわれています。
千駄ヶ谷観音堂は観光山聖輪寺と号した真言宗の寺院にありました。御本尊である如意輪観音像は、行基の作で「目玉の観音」と呼ばれていたそうです。江戸の寺院のなかでも千年以上の歴史のあるものは浅草寺と千駄谷観音堂だったといわれています。
渋谷宮益町よりに西へ下る坂を富士見坂と呼んでいました。ここから富士山が見えたことが名前の由来です。
鎌倉二代将軍・源頼家の家来が、建暦2年(1212)にこの地に小さな祠を建て、鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請したのが代々木八幡宮のはじまりとされています。
角筈熊野十二社は応永年間(1394~1428)に鈴木九郎が故郷の紀州熊野三山より十二社権現を勧請したことによってはじまったと伝えられています。
元禄11年(1698)、信州高遠藩・内藤若狭守の下屋敷の跡地に設けられた内藤新宿は、甲州街道の最初の宿駅です。甲州街道は、多摩や秩父地域で採れる鉱物や農産物の運搬路で、牛馬の往来が盛んでした。
現在の西早稲田3丁目付近です。馬場は寛永13年(1636)に造られ、旗本たちの馬術の練習場でした。
元和2年(1616)、甲州街道を通って江戸に出入りする通行人や荷物を取り締まるために四谷に設けられた関所が四谷大木戸です。寛政4年(1792)には木戸も番屋も撤去され、人馬が自由に往来できるようになりました。
淀橋は神田上水に架けられた最も古い橋と言われています。三代将軍・家光が鷹狩を行った際、周辺の景色が山城(京都)の淀という場所を思い出させるので地名を淀橋とするよう命じたといわれています。