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豪徳寺が創建されたのは文明12年(1480)のことです。寛永10年(1633)に近江彦根藩主・井伊直孝が井伊家の菩提寺とし、大伽藍を備えた寺となりました。
世田谷八幡宮は、源義家が奥州征伐の戦勝御礼に、豊前国(福岡県)宇佐八幡宮より勧請したのがはじまりといわれています。徳川家康入府後には幕府から朱印状を拝領し、世田谷村の鎮守となりました。
世田谷区上馬にあったとされる「常盤塚」ですが、江戸時代でも塚が2つあったようで、どちらが本当かわからなかったようです。この地が名所とされたのは世田谷城主であった吉良頼康とその側室・常盤の伝説によるもので、常盤塚のすぐ近くに常盤橋があったようです。
両国の花火を描いた有名な作品です。今でも隅田川の花火大会は多くの人に楽しまれていますが、江戸の人々も夜空に浮かび上がる光の芸術を心待ちにしていました。絵には「ポカ物」と呼ばれる花火の大輪が描かれていますが、江戸時代は花火の技術が発展した時代でもあり、江戸だけでなく、現在の長野県や愛知県などでも花火が作られ、打ち上げられていました。
雷門(風雷神門)は浅草寺の境内の入口にあります。もとは天慶5年(942)に創建され、駒形(台東区)あたりにあったそうです。鎌倉時代以降に現在の地に移築された際、風神・雷神が初めて安置されたと言われています。
上野の寛永寺境内にある不忍池は江戸第一の蓮池でもあったそうです。干ばつの際にも枯れることなく、蓮の見頃となる夏の時期には紅白の花が咲き乱れ、訪れる人々の目を楽しませました。
「年の市」では正月用の注連飾(しめかざり)や若水桶(わかみずおけ)、縁起物などが売られていました。江戸では深川八幡、神田明神などが有名でしたが、なかでも賑わったのが12月18日に行われていた浅草寺の年の市です。
江戸から京都へ向かう東海道の起点・日本橋を描いた有名な作品です。参勤交代の大名行列が朝早く江戸を出発する様子のほか、天秤棒を担いだ一団が、向こう岸にあった魚河岸から仕入れを終え、行商に出かける様子も描かれており、江戸で一番賑わっている早朝の日本橋の活気が伝わってきます。
大伝馬町には「大伝馬町木綿問屋仲間」と呼ばれる、木綿販売の独占権を持った組合がありました。そのため、越後屋、白木屋、松坂屋といった有名呉服店のほとんどがこの周辺に店を構えていました。
鉄砲洲は中央区湊あたりの旧称で、江戸幕府の鉄砲の試射地であったことがその名前の由来といわれています。湊稲荷は江戸の入口を守る神社として人々の信仰を集めました。