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雷門(風雷神門)は浅草寺の境内の入口にあります。もとは天慶5年(942)に創建され、駒形(台東区)あたりにあったそうです。鎌倉時代以降に現在の地に移築された際、風神・雷神が初めて安置されたと言われています。
上野の寛永寺境内にある不忍池は江戸第一の蓮池でもあったそうです。干ばつの際にも枯れることなく、蓮の見頃となる夏の時期には紅白の花が咲き乱れ、訪れる人々の目を楽しませました。
「年の市」では正月用の注連飾(しめかざり)や若水桶(わかみずおけ)、縁起物などが売られていました。江戸では深川八幡、神田明神などが有名でしたが、なかでも賑わったのが12月18日に行われていた浅草寺の年の市です。
江戸から京都へ向かう東海道の起点・日本橋を描いた有名な作品です。参勤交代の大名行列が朝早く江戸を出発する様子のほか、天秤棒を担いだ一団が、向こう岸にあった魚河岸から仕入れを終え、行商に出かける様子も描かれており、江戸で一番賑わっている早朝の日本橋の活気が伝わってきます。
大伝馬町には「大伝馬町木綿問屋仲間」と呼ばれる、木綿販売の独占権を持った組合がありました。そのため、越後屋、白木屋、松坂屋といった有名呉服店のほとんどがこの周辺に店を構えていました。
鉄砲洲は中央区湊あたりの旧称で、江戸幕府の鉄砲の試射地であったことがその名前の由来といわれています。湊稲荷は江戸の入口を守る神社として人々の信仰を集めました。
東海道の起点である日本橋の上から下流に架けられた江戸橋を望んだ風景です。江戸橋に向こうには、『鎧の渡し小網町』で描かれている小網町の蔵も見え、画面手前に見えるのが初鰹であることから、日本橋の夏の風景を描いた作品ということがわかります。
小網町と霊岸島を流れる十間堀(とうかんぼり)には橋がなく、鎧の渡しで結んでいました。
日本橋界隈の河岸は江戸の物流の拠点として、場所によって荷揚げされる商品が決められており、魚河岸のほか、塩河岸、米河岸もありました。
現在の日本橋室町や本町あたりに魚河岸がありました。江戸湾など近海で獲られた鮮魚がここに集まり、棒手振(ぼてふり)などを通して江戸の人々に食されたのです。