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一身以て公共に尽くす-田中正造-

平成25年11月11日作成
情報サービス課

この情報は速報版として作成したものです。 この他の資料、情報をお調べの方は、ご来館いただくか、電話(03-3442-8451)、Eメールレファレンス、文書でお問い合わせください。

  • 「田中正造 没後100年 「終焉の家」史跡指定 栃木・佐野」(『東京新聞』2013年9月4日 夕刊1面)
  • 「(天声人語)田中正造没後100年」 (『朝日新聞』2013年9月4日 朝刊1面)
  • 「田中正造の遺訓(上)足尾鉱毒事件との対峙」 細川 清著 (『日本医事新報』4654号(2013年7月6日) 日本医事新報社 p.92-95)
  • 「田中正造の遺訓(下)災害救済の道は為政者への"精神療法あるのみ"」 細川 清著 (『日本医事新報』4661号(2013年8月24日)p.78-81)
  • 「滔々と流れる歴史と抵抗 : 田中正造没後一〇〇年に寄せて」 小出 裕章著 (『世界』845号 2013年7月 岩波書店 p.55-65)

「真の文明は、山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし」
1912(明治45)年6月17日の日記に記された田中正造の言葉です。

日本初の公害、足尾銅山鉱毒事件を告発した政治家、田中正造は、1841(天保12)年11月3日に下野国安蘇郡小中村(現栃木県佐野市)に生まれました。1913(大正2)年9月4日に73歳の生涯を閉じてから今年で100年になります。
田中正造は、栃木県会議員を経て、1890(明治23)年第1回総選挙で衆議院議員に当選しました。翌年の帝国議会で鉱毒問題について質問書を提出します。たび重なる議会での質問も政府に受け入れられず、1901(明治35)年議員を辞職し、同年12月帝国議会開院式から帰る途中の明治天皇に鉱毒問題を直訴しました。
栃木県下都賀郡谷中村に鉱毒処理のための貯水池をつくる計画が浮上してからは、谷中村(現栃木県藤岡市)に住まいを移し、強制廃村となるまで住民とともに抵抗しました。
私財を投じ足尾鉱毒問題に取り組んだ田中正造に関連する資料を、都立中央図書館で所蔵する図書の中から紹介いたします。

図書

評伝

書名編著者出版者出版年
『渡良瀬川 足尾鉱毒事件の記録 新版 田中正造伝』 大鹿卓著 新泉社 2013.9
『評伝田中正造』 大澤明男著 幹書房 2012.7
『白い河 風聞・田中正造』 立松和平著 東京書籍 2010.6
『愛の人田中正造の生涯』 花村冨士男著 随想舎 2007.7
『城山三郎伝記文学選 4 辛酸-田中正造と足尾鉱毒事件』 城山三郎著 岩波書店 1998.12
『田中正造』 布川清司著 清水書院 1997.5
『田中正造たたかいの臨終』 布川了著 随想舎 1996.12
『新・田中正造伝』 朝日新聞宇都宮支局編 随想舎 1992.12
『鉱毒非命』 下山二郎著 国書刊行会 1991.12

田中正造を知る

書名編著者出版者出版年
『真の文明は人を殺さず』 小松裕著 小学館 2011.9
『田中正造物語』 下野新聞社編 随想舎 2010.8
『田中正造と民衆思想の継承』 花崎皋平著 七つ森書館 2010.8
『予は下野の百姓なり 田中正造と足尾鉱毒事件 新聞でみる公害の原点』 下野新聞社 2008.6
『予は下野の百姓なり 新聞でみる、民衆政治家田中正造』 [栃木県立博物館編] 栃木県立博物館 2008.7
『鉱毒に消えた谷中村』 塙和也編著 随想舎 2008.2
『田中正造を追う』 日向康著 岩波書店 2003.12

渡良瀬川・足尾銅山

書名編著者出版者出版年
『鉱毒事件と戦争の記録』 館林市史編さん委員会編 館林市 2010.3
『田中正造と足尾鉱毒事件を歩く』 布川了文 随想舎 2009.7
『田中正造と利根・渡良瀬の流れ』 布川了著 随想舎 2004.7

著作

書名編著者出版者出版年
『田中正造全集』 全20巻 田中正造著 岩波書店 1977-1980

インターネット

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